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お出かけ手帳

誤字脱字病。書いては直す人生。

『純と愛』第19週 おもいよとどけ(4)

☆ネタバレしています☆

前回エントリーからすごい間あいちゃった。 もう雛祭りだよ!

雛祭りと言えば、純ちゃんの脳内では「ひなまつり」の曲がよくかかっていて、それは「女であることの生きづらさ」を感じた時に聞こえるんですよね。夫婦の役割だけでなくとも、ジェンダーについてもすごく考えさせられる話なんだよなぁ。 

さて、更に更に続き。
善行さんが亡くなってしまったそのあと。
今更ですが、この週は特に夏菜ちゃんの受けのお芝居がよくて、演出や編集もそれを意識しています。どんな時も、あくまで主役は純。徹底していていいな。
 
引用長くてごめんなさい。狩野家の総決算的週なので…。
 
何故、善行は純を拒絶してきたのか
里やでは引き続き、善行を偲ぶ会が続きます。
 
純は外でひとりベンチに座り、夕焼け空をぼんやり見ている。いとしがそれに気づき、大丈夫?と声をかけます。
 
「なーんか参っちゃうよね。まさか自分の親がこんなに早く死ぬなんて、思ってなかったしさ。お父ちゃんとちゃんと仲直りできなかったな」
 
純はカラりと言います。この子は、悲しい時、必ず明るく振舞おうとする。
でもこれは、本音ですよね。特に事故の前日に、「もう私たちの前に現れないで!」とまで言っちゃってますから。その後悔は相当なはず。
 
で、いとしは何て返すかというと、実は善行から伝言を預かってる、と言い出す。驚く純。昏睡から覚めた善行が伝えたかったこと。
「もし生まれ変わるなら、今の純みたいな生き方がしたい」って。「周りに何を言われても、諦めないで真っ直ぐ自分の目的に向かって進んでいく、そんな純みたいな生き方がしたい」って。
週の初め、善行が夢の中で純として里やで働く、というシーンがありました。あれは、願望の表れでもあったわけです。

純のように生きたい。でも、「俺は俺のまんま」という絶望から抜け出すことはついぞできなかった。メロスのように生きる娘。娘を優しく支えるいとし。そんな風に人生を歩むことができたら、どんなによかっただろう。

だから、「純は、お前はそのままでいい」って。「お前はずっとそのままでいろ」って。

はらっと涙が溢れる純。カメラはしっかりと純の表情をとらえます。

お義父さん謝ってました。

「純が太陽みたいに眩しくて、真っ直ぐ見つめることができなかったって。純が女だからっていう理由だけで、生き方を受け入れてやることができなかった」って。

「それをしてあげることが、1番純を愛することだったのに」

 
「私はやっとお父ちゃんに言って欲しい事を言ってもらえた」って純は心の中で思います。
そして、泣き笑いしながら、「なんだよそれ、言うなら私に直接言ってよ!」
しんみりと空を見上げる二人。
 
本当にねぇ。
 
善行はずっと純を拒絶し続けてきました。第1話の親子ゲンカから、ものすごいガチンコだった。
何故、娘を疎んだのか。拒絶してきたのか。
 
それは、純が悪いわけじゃない。善行の生き方だとか、自尊心のせいであった、と。
 
娘を認めることは、その正反対の生き方をしてしまっている自分を否定することになってしまう。そのことを善行は恐れたんですね。
 
たぶん程度の差はあれ、善行さんみたいな父親って結構いると思うんだけど、ほとんどはここまではっきりと自分の気持ちを言語化できないんじゃないでしょうかね。
恐らく、善行自身も死を前にしてやっと自分の弱さに向き合えた。
 
しかも、それを本人じゃなくて、いとしが言うっていう。本人にはあくまで弁明の機会は与えない。
今までのキャラクターの動きから考えて、これが色んな面でのギリギリのバランスだったと思います。
これを例えば、善行に泣いて純に言わせたところで、どこまで気持ちが伝わるか。
 
あとはね、「俺は俺のまんま」と「お前はそのままでいい」って根っこは同じ。ただ、ポジティブかネガティヴかですよ。考えれば考えるほど、切ないね。
 
皮肉なのは、善行から「そのままでいい」と言ってもらえなかったからこそ、純はおじぃや愛くんとの深い結びつきを作っていったっていうのはあると思うんですよね。
 
善行の生き方っていうのは褒められたものではなかったし、家族にヒドいことばかりしましたけれど、例え親がどうであれ、それを力に変えることもできる。純のように何かを信じ、前向きに生きようとすることはできるんだな、と思いたい。
 
朝のドラマという「わかりやすさ」求められる場で、従来の朝ドラのカタを壊しまくってまで「イヤな父親」を描き続けた中で、最後ははっきりと純を拒絶してきた理由を語らせたのはよかったな。
実際には、本心を何も伝えず、伝えられずに去ってしまうお父さんって結構いるし。
 
 
善行のティムシェル
以前、『純と愛』は『エデンの東』をかなり意識しているんじゃないかっていうエントリーを書いたことがあるんですけど、善行さんの亡くなり方はまさに『エデンの東』を思い出させました。
 
確執を残したまま、死の床にふす父・アダム。アダムはもう言葉を発することもできません。それでも父親からの言葉を待つ息子・キャル。親子の絆をなんとか結びつけたい、中国人の使用人・リー。
 
長い長い物語の末のエンディングなんですが、この3人がアダムを善行、キャルは純、リーは愛くんであてはめて考えると面白いんですよね。
 
リーは「キャルに何か言ってあげてくれ!」って死にそうなアダムに訴え、アダムは消え入りそうな声で「ティムシェル」と言います。
 
「ティムシェル」っていうのは、旧約聖書に出てくるヘブライ語の言葉で、日本語だと「汝、治むるを能う」。ちょっと難しいんですけど、「能う」っていうのは「可能である」という意味だそうで。
どんな罪を背負い、悲劇に見舞われようとも「最後の選択権は人間に残されている」、「運命は自分で選択することができる」というのが父から息子へのメッセージだったのです。
 
善行はいとしを通じて「お前はそのままでいい」と純に伝えますが、じゃあそのままの純ってなんなのかというと、「周りに何を言われても、諦めないで真っ直ぐ自分の目的に向かっていく」純っていうことなんですよね。善行もまた純に「ティムシェル」と伝えていたわけです。
 
第一話での、最初の純のナレーションはこうです。
おじぃ、昔こう言ったの覚えてる?人の運命なんて最初から決まってない。1つ1つの選択が運命だって。私は今から、自分の人生を選ぶ。
純と愛』は人生を自分で選び取る物語。
 
善行の最期のメッセージっていうのは、純が自分で運命を選んで生きていくことを後押しすることになっているんだよなぁ。父親として最期の仕事をしたんだなぁ。「狩野」っていう名前は「能う=可能」から来てるんだろうなぁ。愛くんがリーって上手いなぁ…。
 
考えだすと、止まらん。

 
「お父ちゃん」
里やの仕事に戻った純。仲間たちみんなは、純を励ます。励まし方が、それぞれそのキャラらしくて心和むんですけども、サトがね、またいいことをさらりと言う。
辛いのはわかるけどさ、子供が親の死に立ち会うのは当たり前のことなんだし。生き残ったものは、死んだ者の遺志を伝える義務があるんだよ。
純が「すっごいキマってます」って返すと、「さっく見たドラマのセリフまんま言っただけ」ってサトはチャラけるんですけど(笑)。
 
サトのこのセリフは前半と、後半でメッセージが別れてます。両方励ましではあるんですが。
前半、「親を亡くす」ということを客観的に捉えさせていて、感傷から解放させようとしているのに対して、「生き残った〜」では身近の死を経験した全ての人へのメッセージになっている。
 
なんども書いてきましたが、このドラマは、東日本大震災をかなり強く意識していて、善行さんの亡くなり方なんかを見てもやっぱりね、連想せずにはいられないですよ。海に沈んでいく姿なんてね。
 
もちろん、震災だけでなく「生き残ったもの」が前に進んでいくのは本当に厳しい。前向きな気持ちなんてあっという間に見失うし、罪悪感にも苛まれる。
愛くんをはじめ、待田家の人々が苦しんでいるのも、そういう「生き残った者」が背負うものがあまりに重いからなんでしょう。
 
サトの励ましは、そういう「生き残った者」がどう生きていくべきなのかっていう道しるべをひとつ示したと思います。死んだ者の遺志を伝えるってどういうことなんだろうね。
 
で、純の心の声がナレーションで入るんですが、それが「お父ちゃん、みんなが私のことを心配してくれてます」なんです。
 
いままでいつも「おじぃ」って言ってた子が、「お父ちゃん」になる。
これが、今週最後の終着地に向けての布石になっていきます。この「お父ちゃん」は、あざといくらい上手いなと思いました。これをさせるために「おじぃ、おじぃ」って言わせてた気さえする。
 
 
俺はもう長男ではない
善行が亡くなった後も入院を続けていた晴海でしたが、遂に退院することが決まります。
いまだ善行の死を知らない晴海。
家に帰れば位牌もあるし、もうこれ以上隠し通すことはできそうにありません。純は「本当のことを言おう」と言いますが、正は明日の退院までに、長男としてどうするか自分が決める、と宣言します。
 
次の日。大阪のマンション。
善行の位牌に手を合わせる兄弟、いとし、マリア。
 
「お兄ちゃん、どうするか決めたの?」と聞く純に、正は「俺、考えたんだけど、純、お前が決めろ」って神妙な顔で言い出します。
 
ちょっと待って!と慌て出す純。
「長男でしょ!逃げないでよ、また!」
その件だが、俺はもう長男ではない。
うちの長男は、純、お前だ。
男とか女とか、先に生まれたとか後に生まれたとか、そんなことは関係ない。これからお前が、一家の長として家族の問題を全部決めるんだ。
俺は決して逃げてる訳じゃないぞ。昨日寝ないで考えて、それがうちの家族にとって一番いいって、心から思ったんだ。愛くんみたいに、お前の決断に従って、それを支えていくのがさ。
正の見せ場です。
今週は狩野家におけるリーダーシップがテーマのひとつとしてありました。善行が雲隠れしたあと、いったんは長男の正がリーダーを引き継ぎました。でも、向いていなかった。適性の問題です。
 
この流れで、正の話は確信に迫ります。
ごめんな、純。大学を出て、お前がうちのホテルを継ぎたいって言った時、賛成してやればよかった。
おじぃのホテルを継がせてやれば、お母さんもお父さんも…こんなことにはならなかったかもしれないのにな。
ごめんな、純。
そうなんだよ。そこなんだよ。
 
純は「そんなことないよ」って言うし、狩野家の色々な出来事は正だけのせいじゃない。
でも、正の言う通り、あの時の正の態度は、純の運命も狩野家の運命を変えうる可能性があった。
正確には、あの場にいた家族全員に、運命を変えることができたかもしれなかったわけですが、正は長男として受けてきた恩恵を捨てられず、ホテルの仕事が好きなわけでもないのに、純の味方をしなかった。
 
純と愛』というドラマの第1話では、まさに純がホテルを継ぎたいと宣言し、家族に拒絶されるエピソードが大きく描かれています。この物語の始まりとしてふさわしかったことがよくわかる。あの宣言と拒絶こそが『純と愛』の物語の始まりなのです。良くも悪くも。(冒頭のナレーションといい、第1話は本当によくできてる。)
 
また、正に「あのとき…」と気付かせることで、家族はまとまっていく。
 
狩野家の不幸は、善行や正が家父長制に縛られて、選択ミスを重ねてしまったことが大きな原因となっています。
その善行は亡くなり、単純な家父長制とは違う道を歩む勇気を長男が得たことによって(いみじくも、正の娘の名は「勇気」)、狩野家は家族として新たな出発をするのです。
 
愛くんもそうだけど、正も善行の代わりに謝っているというのはうまいな。残されたものが、こうやっって死んだ者の遺志を伝えている。
 
 
どうしよう純、泣けない
こうして狩野家のリーダーとなった純。さっそく、晴海には本当のことを伝えることにします。
 
退院し、家に連れて帰ってきた晴海をリビングに座らせ、純は事実を母に告げる。家族みんなで見守ります。
 
「あのね、お母ちゃん、お父ちゃんは先日亡くなりました」
 
「え?」
リビングと隣り合った和室の襖を愛は開けると、そこには善行の遺影と位牌があります。呆気にとられる晴海。
 
「ごめんね、お母ちゃん」と、純は続けます。体のことが心配で本当のことが言えなかったのだ、と。
 
「なんで…?なんでお父さんが?」
「お母ちゃんが海で溺れそうになってて、それをお父ちゃんが助けてくれたの」
 
和室に入りじっと善行の遺影を見つめる晴海。
そして呟きます。 
どうしよう純、泣けない。
すごい反応だ…。
逆にホッとしてる。肩の荷が下りたようなきがして。私、やっぱりおかしくなってるね。自分の中で大事なものが、どんどん抜け落ちているような気がして…どうしたらいいのかわからないよ…。

善行がおじぃのホテルを売ってしまって、もぬけの殻になった純は「あたしはお父ちゃんが死んでも絶対泣かない。むしろ嬉しい」と言いました。しかし、純はもちろん悲しんでるし、涙も流している。

で、晴海です。

あの時純が言ったことが、実際には晴海の反応として起きている。

命をかけてまで、自分を助けてくれた夫。自分のせいで死んでしまった夫。

その事実をもってしても泣けない程、晴海にとって夫が重くてしかたなかった。

この展開は凄くいいな、と思いました。

そりゃ、悲劇でしかないんだけれど、長年にわたり気苦労ばかりで、そんな急に死んだとか言われても、泣く程まで心の整理なんかつかないよ。

これからゆっくり時間をかけて、晴海は喪の作業をしていきます。それでいいんだと思います。

 

つよし!!

父の訃報を聞いても泣けない母。

お父ちゃん、どうしたらいいの?こんな時なんて言えば…。子どもたちは晴海に声をかけることができません。

そんななか、沈黙を破ったのは剛でした。

お、お母ちゃん!…腹減ったよー!

ねぇねぇ、お母ちゃんあのさ、何か作ってよ。そうだ!お父ちゃんの好きな出汁巻き玉子作ってよ!

「そうしようね」と気を取り直す母。

つよしー!あんたが弟でよかった!って純は思うんですが、視聴者みんなが、きっとそう思っているよ!

このときの「お腹すいた〜」はね、涙をためながらいつもの駄々っ子になっていて本当素晴らしいです。あのヘタレっ子が勇気を振り絞っているのが凄くわかる。(あぁ、なんで渡部秀くんドラマにもっと出ないの?)

剛は家族のために何かしたいのに、何もできないと悲しんでいましたが、こんなに自分らしく家族のために振る舞うことができるのです。剛が大人になる瞬間を見た気がしたよ。

善行の思い出話をしながら、家族は泣いて笑って食卓を囲みます。

本当はちょっとしょっぱかったけど…でも今の私たちにはこの玉子焼きが最高だよ、お父ちゃん!

みんなで「おいしい、おいしい」って家族だけで狩野家がごはんを食べるシーンって、たぶんここが初めてなんじゃないかと思うんです。やっと家族が出来上がる。

善行の死で家族がひとつになるというのは悲しすぎるんだけれど、善行はみんながひとつになって晴海を支えるような家族を作りたいと最期は願ってましたよね。お父ちゃんの遺志をちゃんと継いでいる。

晴海と善行は順風満帆、とはいかなかったかもしれない。でもこの卵焼きを美味しいって食べる子ども達を見ていると、この2人が結婚したことはやっぱり素晴らしいことだったんじゃないかと思ってしまう。間違いなんかじゃないし、美しいことをしたんだとすら思ってしまいます。善行亡き後だからこそ、こう思うのは悲しいのですが。

こうやって家族は続いていく。

それを示唆するように、赤ん坊の勇気と、善行の遺影が映し出されます。

 

お義父さんは生きてますよ

純と愛のアパート。愛くんは純に語りかけます。

夢がひとつ叶ったんです。

覚えていませんか?いつか僕がお義父さんに言ったこと。僕にはふたつの夢があるって。ひとつは純さんが「まほうのくにを」作ること。もうひとつは、いつかお義父さんに認めてもらうことだって。

 そんなこと、あったね、と純。

お義父さん、僕に言ったんです。「これからも純を頼む。ずっと支えてやってくれ。純はお前と結婚してよかった」って。

 愛くんとのしこりも、ちゃんとなくして去っていった善行。

「あーなんか、今お父ちゃんに会いたいな。今お父ちゃんと喋って、色んなこと話したかったなー。なーんで死んじゃったんだろう?」

純はしんみり明るく言います。

お義父さんは生きてますよ。純さんに中で、いつだって生きてます、おじぃと一緒に。違いますか?

今まで純は心の中で「おじぃ」って言ってきましたけれど、善行が亡くなってからはそこに「お父ちゃん」が入る。

いとしも弟を亡くしていますからね。

死者は心の中で生き続ける。対話をし、遺志を継いでいく。ありきたりなんだけれど、力強いメッセージです。純が第1話から「おじぃ、おじぃ」って言っていたのも、いとしが同じ顔の双子の弟から逃れられないのも、そのためです。だからこそ上手に付き合い続けなければならない。このあたりは、待田家再生の物語に続いていくテーマにもなっていきます。

しみじみと、愛くんに身を寄せる純。

ここまでが第19週のお話でした。

 

善行という男

先日、「あさいち」のゲストとして、善行を演じた武田鉄矢さんがお出になっていて、『純と愛』の話になると「朝から、色々ね、悩ませて申し訳ございません」(笑)と前置きしてから、こうおっしゃっていました。

リアルで言うと、家族っていうのは「お前が憎い」って言いながら愛するっていう思いを伝えるのが家族なんじゃないですかね。「出てけ」って言いながら「出て行くな」って思う父親の気持ちってあるじゃないですか。「お前なんかどうなっても構わない」って言って、「ちゃんとしてほしいな」っていう願いが。

そういう反語の家族表現とか、家族言葉とかって言うのは、やっぱ一回やるに値する。そういうことじゃないかと。

善行はやっぱりそこですよね。純もね。

「愛情の反対は無関心である」と、いつだか愛くんがマザーテレサの言葉を引用していましたが、善行は家族に無関心な男ではありませんでした。晴海への手紙にもあったように、彼はつねに愛情を求めていました。そのくせ愛情を表すのが、全く上手くない。不器用で孤独な男でした。

きっと善行も、自分のことが心の底ではわかっていたのでしょう。

「人間は一人で生まれて、一人で死んでいくんや!」

善行は生前、純にこう言いますが(純自身も、結婚前に同じことを言っていた気がする)、この言葉はむしろ自分自身に向けて言っていた。心の準備として。

しかし、善行は子どもたちに見守られて旅立ちました。「お父ちゃん」と涙する子どもたちを見て、善行には万感の思いもあったはず。最期の最期、善行は一人ではなかったのです。(もっと言うと、勇気ちゃんも家族みんなに見守られて生まれています。)

善行というキャラクターの造形は、そういう反語の愛というものを追求したものだったからこそ、彼の最期はとても悲しいんだけれど、どこか祝福さえ感じてしまうんですよね。やっとこれから、というところで、無念で残酷な展開なんだけれど、寂しい死を与えることはなかった。

善行は夫としても、父親としても、職業人としても、最低だった。家族に当たり散らすし、おじぃのホテルまで売っちゃうし。

だけど、晴海が言うように「一生懸命」だった。上手くいかなくても、その「一生懸命」を本当にささやかながら讃えた最期でした。心から改心しようと宮古に帰る決意をし、妻を助けてっていう善行史上最高の善い行いをし、子供たちに見送られたんだから。(晴海と宮古に帰ってたとしても、正直うまくはいかなかったと思うんだ…)

 

純と愛』は色んな要素はあるけれども、ラブストーリーが核でもあり、恋愛には自己や他者の承認が大事なんだってことが描かれていると思っていました。

でも見返してみると、拒絶もそれと同じくらい重要なんじゃないかって思ったりもする。何を拒絶するか。拒絶したものをどうすれば承認することができるのか。そう考えていくことで相手でなく、実は自分を知っていくのです。また、そうやって自分を理解することで、他者との付き合い方も更に深いものになるのかもしれません。

善行は自分という現実も、純という理想も拒絶して生きてきた。そして最期にそのことに気づいた。

晴海はどうでしょうか。彼女には、まだ時間が必要そうですね。でも晴海は人生を振り返る時間があまりに限られています。

 

はぁ。第19週は長くてごめんなさいね。なかなか上手くまとまらんかった。

善行って朝ドラでも稀にみるほど味方しずらい男だったよ(笑)。

でも、こうやって見直して、善行さんを見つめていくと、気づけば投影している自分がいました。たくさんのダメな自分が。そして、善行が反面教師となって戒めてくれるんです。物語のキャラクターっていうのは、受け手によって随分と変わってしまうものですから、まぁ今でも「稀代のくそおやじ」としてご立腹な人がいても全然おかしくないけどね(笑)。

まだ物語は続きますから、善行さんって何だったのっていうのは、最後まで考えていかなきゃ。

とはいえずっと続いていた「父親」のお話も一区切り。ここからは「母親の物語」へシフトしていきます。

 

(全然まとまってないけど、もう次に進みます。大スランプ週でした。あとね、最後に書くとしたら、善行は超超嫌な奴だったけど、暴力に訴えることは(ほぼ)なかった、ということ。暴言愚行はたくさんありましたが。一線は越えてないし、越える度胸もなかった。そこが、善行という人物の肩を少し持っていいかなぁと思う理由でもあります。朝ドラだしね。さすがにDVまではいけないね。だからこそ、いま放映中の◯◯妻では「家族の暴力」をテーマに書いてるのかな、遊川さん。さすがに朝ドラじゃ、あそこまでいけない。でも『純と愛』の補足にしか見えないんだよなぁ、いまのところ。)

 

純と愛 完全版 DVD-BOX3<完>

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