お出かけ手帳

誤字脱字病。書いては直す人生。

『きっと、星のせいじゃない。』とウィッシュ

☆ネタバレしています:ご注意ください☆

『(500)日のサマー』の脚本コンビが青春難病モノを手がけたということで、どうなるんだろう、と楽しみにしていました。きっと、お涙頂戴じゃない。はず。

で、観ました。
号泣しました。
そりゃ泣くよ!

主人公・ヘイゼルも、その彼氏・ガスも、なんなら彼氏の友達も、若くして重篤な病気と共に生きている。その残酷さ。

でも、いいな、と思ったのは、実際に病と闘わざるえない環境にいるティーンに配慮が感じられたこと。病気だろうと、ちゃんと馬鹿をさせてくれるし、だけど変に明るくしすぎて現実から目をそらさせたりもしない。その塩梅に優しさを感じました。病気がある。背負うものがある。でも、恋をして心がわくわくする感覚は、それとは関係ないんだ。当たり前だけど。
きっと観客は男女関係なく胸キュンしたと思うの。だってあの彼氏、優しくてユーモアがあってイケメンで素敵だから。なにあの子最高じゃないか!
主役のヘイゼルも賢くて凛としててね、もうベストカップルだよ。

ラブストーリーとは違うところでじんときたのは、ガスの友達が彼女にフラれてテレビゲームをヤケクソでやってるシーン。
彼は片目をガンで失くしているんですけれど、もう片方も摘出しなければならなくなったんですね。で、それを聞いた彼女は怖くなって彼を捨てるんです。エグいほど(笑)ラブラブだった彼女に、「支えられない」ってフラれる。彼女は正直だし、責められるかっていうとまた違うとも思うんですけどね。

で、友達はガスの部屋で、フラれた気持ちを全てゲームにぶつけて熱中してる。

それを観てると、よりによって目を酷使するテレビゲームを、って一瞬よぎるんだけど、よく考えたらこの子がゲームを今みたいに出来るのもあとわずかなんだ、って思い直す。

あぁ、もうゲームやりな!思いっきり、気の済むまでやりな!ゲームは裏切らないしな!!

女にフラれてゲームに当たるって、すごいアホなんだけど、アホなことは誰だってするじゃないの。人を傷付けないアホやれる幸せですら平等じゃないっていう。

で、更にゲームじゃ怒り収まらず、モノに当たり始めるんですけど笑(サマーにフラれたあの子も皿割ってたよね)、ガスは彼に自分のトロフィーを渡して、壊していいって言うんです。これ、やっちゃえよ!って。それで、どんどんガスのトロフィーを壊していく。
ここで観客は、ガスっていう子がたくさんトロフィーをもらえるくらい、スポーツに秀でていたし、打ち込んでたことを知ります。そして、ガスはやはりガンで片足を失っている。
ガスは朗らかで楽しいけど、頭のいい子だから、色んな葛藤を乗り越えて、友達に自分のトロフィーを壊させる。
明るいんだけど、思うところが多いシーンなんだよ。

ところで、映画のなかで「ウィッシュ」という言葉が出てきますね。「メイク・ア・ウィッシュ・ファウンデーション」っていうんだと思うんですが、難病と共にある子供たちの夢を叶えるための機関。日本にもあるようですし、知ってる方も多いと思います。

闘病生活が長いヘイゼルは、既に自分のウィッシュを使ってしまっていることをガスに言います。それでガスが「まさかディズニーじゃないだろうなー」ってからかうんだけど、そのまさかっていう(笑)。「なんで?いいじゃん!まだ子供だったし!エプコット行ったし!」

私はこの時ストーリーとは関係なく、非常に動揺してしまいました。
何故なら私、エプコットで働いてたことがあるし、その近くにあるウィッシュの宿泊施設にも行ったことがあるからです(汗)。

エプコットで働いてたことのある日本人って実はかなりたくさんいるので、まぁいいかって思って書いてますけれど、まずエプコットは何かっていうのを一応説明するとフロリダにあるディズニーワールドのテーマパークのうちのひとつです。日本はランドとシーの2つですが、フロリダは4つ(プラス細々あるけど割愛)あって、エプコットはそのなかでもお勉強寄りなパークで。だからヘイゼルは「エプコット行ったし!」って言ったんだと思う(笑)。

ちなみにエプコットには世界万博的なエリアがあって、大きな池を囲むように色んな国のパビリオンがあります。私がいた時は確か11カ国かな。国ごとに特色のあるショップとかレストランがあり、それぞれの文化を楽しめ(働く人は基本的にその国の人)、池を一周すると世界一周した気分を味わえる。アメリカは海外旅行ってそんなにメジャーじゃないっていうのもあるけど、海外旅行自体がこの先、時間的に難しいであろう子供たちもやってくるっていうのは切ないです。

それで、まぁ私はジャパンのパビリオンにちょっと足をつっこんでた時期があって、休みの日にウィッシュの施設に行ったんです。ボランティアっていうほどのことは何もできないだろうけど、その昔ホームステイしてた家の子が重篤な、本当に命に関わる病気にかかっていたので、1度は行かなきゃとなんだか思ってしまって。テーマパークのあるエリアからちょっと車を走らせたところにあります。

その施設はなんのためにあるのか。
もちろん遊園地で遊びたいとか、フロリダで何かやりたいことがあるという子供たちの夢を叶えるため。そのために、万全の準備を整えた宿泊施設です。

だけど、それだけじゃない。 病気を抱えた子供を日夜支え、ケアする両親をはじめとする家族が、束の間の休息をとるための場所。

映画でも、特にヘイゼルの両親、もっと言えばお母さんの心情描写がとても印象的でしたが、子供の看病というのは本当に大変な大変なご苦労で。楽な看病はないけれど、自分の子供が、っていうのは独特の過酷さがある。

あの施設は、そういうストレス下で精神的にも肉体的にも疲れ果てた両親が、子供を安心の置ける場所に夜預けて、ディナーだとか、リフレッシュするためにもあるんだそうです。

まず敷地に入って驚いたのは、色々建物があるんですけど、お城みたいなのとか、お菓子の家みたいなのとか、とにかくメルヘン。激しくメルヘン。でも静か。それが怖かった。誤解を恐れずに言えば、天国みたいで怖かった。あの作られたハッピー感って忘れられないです。子供たちは喜んでいたようだったので、全く問題ないんですけどね。
たじろぐ大人は他にもいると思う。

で、その日は両親が出かけた子供たちと一緒に夕食を食べて。ピザとかジュースとかアイスとか。健康的かっていうと全然違うけど、基本は「これ食べちゃダメ」とかはない(個々の病状によるとも思いますが)。普段たくさんの制約の中で生きている子供たちを解放させるためにも、好きなものを好きなだけ。
小学校低学年ぐらいの子供たちが多かったかな。今日はどこ行ったとか、ミッキーに会えたよとか、英語が片言の私に合わせてくれながら、わいわいおしゃべりしました。

それで、その後何したかっていうと、超本格的な「アメリカンアイドル」ごっこ。あれはすごかった。小さいホールがあって、アメリカンアイドルみたいにしたステージがあって、子供たちが1人ずつ歌うんです。
ボランティアはジャッジ役とか、司会とか色々やるんですが、私と他数名は「あんたたち、グルービーやれ」(笑)と。ヒューヒュー盛り上げる役です。これなら言葉の心配もないねw。

カラオケもちゃんとあって、結構子供たちもノリノリで歌って、ジャッジが「ジャッジっぽい」こと言って。グルービーは盛り上げと、ジャッジへのブーイングw(これ大事)を頑張りました。 楽しかった。

でもね、終盤に恥ずかしがりながら出てきた女の子の登場で、私の気持ちは大きく揺らいでしまいました。
たぶんまだ小学校にいってるか、いってないかくらいの年で、キレイな目をしてて、きっと薬の副作用で髪がなくて。
みんなはカラオケだったけど、その子はアカペラで「キラキラ星」を歌いました。すごく恥ずかしがってたけど、たった一人で、可愛い声で歌いました。

他にも薬の副作用と思われる症状がある子はいたし、ホームステイ先の子のこともあったし、自分も子供の頃何度か入院だなんだってしてたし。私はそういうところに行っても大丈夫だ、と思ってました。

だけどあの時、あの少女の「キラキラ星」を聞いた瞬間、泣きたくて仕方なかった。はかない星がキラキラするのと、命とが重なって。わたしグルービーなのに。盛り上げなきゃいけないのに。

少女のか細い歌声と、よりによって「キラキラ星」っていう選曲で、本当に打ちのめされました。ここに来ている子供たちは、なんて厳しくて寂しい場所にいるのだろう。

ウィッシュの施設に行ったのは、それが最初で最後です。毎月のように機会はあったのに。
その時はもちろん渾身の力で涙腺とめて、出来る限りの笑顔作って、声出して、盛り上げましたよ。
でも、もう自分みたいな半端もんには無理な場所だと思った。逃げ帰ったんです。

施設に着くとまずオリエンテーションがあって、説明するスタッフが結構事務的でびっくりしたんですが、あれはそういうことなのか、と思いました。そうでなければ、辛くて続けられない。

話がだいぶ映画から離れてしまいましたが、やっぱり子供が病気と共に生きるって生半可ではないと思います。本人も、家族も。

あのガスでさえ、物語の終盤に弱音をはきますよね。何かをなし遂げたかった、残したかったって。みんなに自分のことを覚えておいてほしい。
ガスは、トロフィーをたくさんもらうような前途洋々な子で、自分は将来何かをやってやるんだって信じてきたと思うんですよね。そしてその気持ちを大切にしてきた。
友達が彼女にフラれて、自分の過去の栄光の証を差し出したのも、これからまた新たに頑張ろう、っていう現れですよ。これからまた、できることを探せばいい。

だけど、人には与えられた時間があり、しかもそれは不平等である。残酷だけど、どうしようもなくそうなのです。
わかっていたはずの、ガスもその事実に改めて直面し愕然とします。

短い人生にどう折り合いをつけるか。そこにはやっぱり他者が必要なんだと思いました。
ただ多くの人々にではなく、大切な人に覚えていてもらえればいいじゃないか。短くとも生まれた以上ゼロではないんだ。
これは多くの人を励ますメッセージですね。

去る側、送る側の思いが丁寧に描かれていてよかったし、なにより当事者感がしっかりと出ているところが素晴らしかった。誰もがどちらも経験することになるんだと、強く感じさせられました。いつ、どんなシチュエーションかはわからずに。

泣かせすぎるとか、ナイスカップルすぎるとかw色々ありますが、よかったよ。個人的にも思うことが多い映画でした。

あと、アンネの家が出てきたりね。やっぱり若い子はこの映画観たらいいと思うよ。そして『アンネの日記』も読んだらいいよ。ヘイゼルが必死に屋根裏部屋までガスと行った意味がわかるから。ヘイゼルが夢中な小説『至高の痛み』が突然終わってしまうのも、うまく重なっています。


フロリダのウィッシュについては、私は何しろ一回しか行ってないし、随分前の話なので、ご興味ある方は是非ご自身で詳しくお調べ頂けると幸いです。


原題と邦題がちょっと逆っぽい表現だけど、どっちもいいよね!

きっと、星のせいじゃない。

きっと、星のせいじゃない。