お出かけ手帳

誤字脱字病。書いては直す人生。

「長渕剛10万人オールナイトライブ2015in富士山麓」に行ってきた 涙の後編

続き

感動の第一部が終わり、トイレに行きがてら、とりあえず妹にツヨシがヘリで降臨したことを報告。ネットでも騒ぎになってるよ、とのこと。
更に、堀北真希山本耕史の結婚という衝撃のニュースまで教えてもらい、なんだかどこもかしこもどエライことになっている、と高揚がとまらないまま第二部へ。

承 怒りの第2部
「次は40分後な!」と去っていったツヨシさんでしたが、なかなか出てきてくれません。
今思えば、ヘリの事故の報告などを受けていたのかもしれません。2、30分押したでしょうか。「遅れてごめんなー」と第2部が始まったのは12時半近かったと思います。

第2部は政治的メッセージが込められた歌だとか、それに関連して、突如無名?の新人さん(沖縄出身の女性歌手と男性ラッパー二人)が登場して一緒に社会派な曲をやったり…と真面目な雰囲気。各国の偉い人達や防護服の写真とか、そんな映像も使いつつ「こんな世の中でいいのかい!いやいいわけねえ」といったような怒りの感情が爆発してました。やたらと「チクショー」とか言ってたし。もともと「チクショー」を連呼する曲だったのかな。うーん。違うな(笑)。

知ってる曲でいくとまず「とんぼ」がきたのですが、「お客さんが主役」と考えてくださっていることがアダとなり、サビはツヨシなしで観客のみの合唱となってしまったのが、ちょい残念w。「東京の人になる」歌とかもよかったな(すんません!必ず曲名調べます)。

ちょっと押してたこともあり、サクサク進む第二部。最後になんとマキすぎて時間が余ったのか、「引き語りやる。メニューにない曲やるわ」となんと予定になかった「巡恋歌」やってくれました。かっこよかったー。うまかったー。
「メニューにない曲やる」と言った瞬間に、ツヨシを追ってるカメラがちょっと揺れましたからね。そんな臨場感も含めてよかったです。

あ、あと第2部の面白ポイントは、ノリにのったツヨシさんが曲中、観客に向かって「音を飛ばすからな!」と言い出して、その独特な表現に数万人のお客さんが一斉に戸惑う、という事態が発生したことです。

転 哀しみの第3部
1部、2部ではバンドメインで時々弾き語りだったんですが、第3部は弾き語り多め。しかも客席エリア中央のミニステージに来てくれて、私たちの近くに。点にも見えなかったのが、米粒くらいには見えます。あぁ有り難や。
しかもステージまで歌いながら車で場内を移動。豪快。

確か第3部始まったの時だったと思うんですけど、登場するなり「オレ、楽屋で毎度号泣してるんだからな!」っていうようなことをツヨシはおっしゃってて、なんだかじんとしたんですが、最終的にはわたくしもこの第3部で感動のあまり号泣。友人も号泣。泣きゃあいいもんでもないでしょうが、とにかく泣けました。

超超代表曲「乾杯」は観客とツヨシの大合唱。本当にいい曲だね。変に盛り上げすぎず淡々とした雰囲気を併せ持っていたところがまたよかった。

で、その後次の曲の前にツヨシは語り出すんですけど、何についてかっていうと、亡くなったご両親についてなんですね。特に父親が亡くなる直前まで自分の名前を呼んでくれていたこと。そして歌い出したのは「鶴になった父ちゃん」。
語りの通り、旅立つ父親が自分の名を呼んでくれてた、ということを感情を込めて熱唱されていました。

もうこれで号泣です。事前にリハ曲のタイトルを友人から教えてもらっていたのですが、一番この曲が謎だったんですよね(笑)。だって「鶴になった父ちゃん」だよ??

で大号泣のあと、曲名聞いたら、これが例のアレだったわけです。曲名だけで怪しんでなんかすみません。

MCでツヨシは「両親が亡くなった時、自分が透明人間になったように感じた」ともおっしゃっていて、あぁこの人は自分を作りあげているものをすごく大事にしているんだなと感じました。
日の丸とか掲げてるし、ムキムキだし、なんかコワい系かも…っていう印象は正直あったんですけど、たぶんこの人は素直過ぎて、大事なものを大事だと言わずにはいられないのだろう。ファンのこともすごく気にかけている様子でした。等価に大事なものは大事で、それが国という枠組みにまで及んでいる感じ。「右とか左とか関係ねーんだ!!」って叫んでましたしね(笑)。
まぁちょっと、解釈が優しすぎるかもしれないけれど、そんなことを感じました。

しっとりバラードの弾き語りを中心に、古くから付き合いのあるスタッフが一緒にギターを弾いていたり、ツヨシが昔出演したドラマの役(エイジ)をちょっと演じてくれたり、しみじみしながらも、ちっとも飽きさせない第3部でした。

結 楽しい第4部
さあ、空も白んできました。しかし、ここでひとつの懸念が観客の頭をよぎります。「朝日を引きずり出す」件についてです。

少しずつ空が明けるに従って前方に見えてきたのは、雲。
く、曇ってる…かも。
ライブが始まってすぐに「どんなことがあっても朝日を引きずり出すぞ。いいな!」と言われていた我々に緊張が走ります。
めちゃくちゃ天気悪いってわけじゃないけど、前方にあるはずの富士山が見えない…。

そんな不安の中始まった第4部。
ツヨシは、めちゃめちゃ元気です。少なくとも元気がかなり余っているように見える。MCで多少喉が疲れてきたかな、と感じても、歌声は全くもって衰え知らずの長渕剛のままなのです。すごい人だと思いました。

ツヨシは観客に喝を入れまくりながら、「しゃぼんだま」などなど。あぁいい曲だなぁ。

そうこうしている間に、雲が少しずつ流れていきます。
あ!富士山が見えてきた!!
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そしてついに…。
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どーん!!
朝日、引っ張り出した!!!

超盛り上がる会場。「伝説作ったぞ!!」
そのままバンドと共に演奏は続き、気分最高潮のままライブは終了となりました。
ツヨシは関係各位、バンドメンバー、観客に謝辞を述べておられましたが、こちらこそありがとうだよ。
ツヨシありがとう。
バンドメンバーの皆さん、ありがとう。
関係各位の皆々様、ありがとう。
本当にお疲れ様でした。

ライブのフィナーレで個人的に印象に残っているのは、ドラムの方が号泣されていたこと。肉体的負担が大きい楽器な上に、ツヨシからのプレッシャーも相当なものだったんじゃなかろうか。そりゃ泣くわ、と友人たちと勝手に納得したのでした。

さて、問題はここからだ
大団円で幕を閉じたふもとっぱら10万人ライブ。

しかしご存知の方も多いでしょうが、問題はここからなのです。
よくよく考えると、この会場にいる10万人(仮)は、バラバラに集まりました。だからこそスムーズに感じた。しかしコンサートが終わる時間はみなにとって平等である以上、解散の混乱は必至です。

そこで考え出された苦肉の策が、退場を制限する、というやり方。そこで大きく運命を分けるのが新宿でバスに乗り込んだ際にもらった、あのリストバンドです。正確にはリストバンドに書かれているカタカナ。
あのカタカナ順にまずはシャトルバスで外に出て、大きなバス停留所まで行き、各々の目的地行きのバスに乗る、という算段なのです。

スクリーンに映し出される、カタカナ順の退場予定時刻。
ア行 6時半から。
カ行 9時から。
サ行11時半から。

新宿出発の私と友人のカタカナは、コ。
そして、もう一人の友人はサ…。

なんということだ…。

コということは、ほとんどサ行であり、5時間もこれからここで待つのか…。あたい達、寝てないんだぜ…。

待っている間、場外を出ることは許されません。そして場内に日陰はない。どんどん高くなっていく太陽。

オールナイトの祭りで極度に疲れている私たちはほとんど泣いていました…。
野っ原でただただ時間が過ぎるのを待つしかないなんて…

結局お昼前にやっと、カ行召集。
あぁここまで長かった。

でもね、これでこの後すんなりいく訳なんてないんだよ泣。
ゲートが出た後も、人の列が詰まりに詰まって牛歩状態。
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これだけ人がいるのに、みんなほぼ無言です。疲れMAXだからね…。

結局最初のシャトルバスに乗れたのは午後1時くらい。新宿行きのバスに乗れたのが1時半くらいだったでしょうか。

で、高速ではもちろん渋滞にあいまして(泣)、新宿に着いたのは午後6時前だっと思います。そしてこっから家まで帰るのです…。

力なく友人と別れた私は、帰る気力もわかず、とりあえず茶漬け屋でお茶漬けたべましたよ。よく考えたら、この日ロクなもん食べてない…。無心で食べました。
そして米パワーでなんとか家まで這いつくばって帰りました。

神奈川某所へ向かった友人は、更に渋滞がひどかったらしく、家に着いたのは夜の9時だよ。前日の開演時間じゃないのさ。

こうして私たちのふもとっぱらライブは本当の終わりを迎えたのでした。

長渕10万人ライブとはなんだったのか
音楽の喜びと、感動と疲労で、涙がちょちょぎれた2デイズ。今回のライブにおいて個人的には「過剰」とは何か、ということをすごく考えさせられました。

観客数が過剰。演奏時間の長さが過剰。セットが過剰。演出が過剰。アーティストも観客もテンションが過剰。すべてが行きすぎた夢でした。
素晴らしい夢。

そしてその代償は思った以上に大きかった。
ツヨシは「大変な思いをして来てくれてありがとな!」と言いました。何度も言いました。何故そんなことを言うの?

私と友人はその意味をライブの後に身をもって知ることになります。しかしツヨシには、このイベントがいかにリスクを伴ったものか予め分かっていたのです。(後から調べると、実際に往路の時点で「大変な思い」をしていた人もたくさんいたのでした。)

にもかかわらず何故この過剰な夢をツヨシは叶えたかったのか。

ツヨシはきっと、何かを得るためには痛みを伴う、ということを知っているのです。
大きな喜びには大きな痛み。
それでも、喜びを感じて欲しい。

歌え!
ツヨシは何度も言いました。
あれはあの場で歌うことだけのことをを言っていたわけではないと思います。

歌え。
傍観者になるな。

ツヨシの思いは、きっとそこなのです。

今、日本という国で生きていると、本気でなくともなんとなく必要なものが簡単に手に入ってしまいます。そういう人がおおかたで、それは素晴らしい。
だけど、そこでは大きく心が動くことはないのです。

このライブが全てにおいて過剰だったのは、そういった日常を超えて、何かを感じさせるため。過剰でなければ、悪いことだけでなく、いいことも感じられない。何も感じなければ、当事者になることは永遠にない。

私たちには時々、過剰な何かが必要なのです。それがライブという形で体験できるのならば、これほど平和なことはない。
何かと過剰に戦うより、ずっとずっといい。

あれだけの人がいれば、きっと人の数だけの感じ方があり、出来事があったことと思います。
嫌な思いをした人もいるでしょう。
私も大変に疲れました。

だけど、あの過剰さがもたらした生きた情感は、何ものにもかえがたい。

あのライブに行った後悔は微塵もありません。

時々の過剰は気持ちがいいのです。

だからこそ、その取り扱いは十分に気をつけなければならない、とも思います。

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