お出かけ手帳

誤字脱字病。書いては直す人生。

韓国ドラマ『ミセン-未生-』が名作すぎる ④

☆かなり激しくネタバレしています☆

 

 続きです。これでミセンエントリは最後です。

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長々とミセンについて語っておりますが、書いているのは大きいテーマにかかわる部分を中心としています。だけどね、このドラマは細部までホントに作りこまれているんですよ…。ひとつひとつ書いていくともうキリがないので、泣く泣く割愛しております。

もうね、これは見るしかないんです!色んな出来事が積み重なり、絡み合ってお話は進むし、笑えるシーンもたくさんある。無駄なく、くどくなく、何度見ても発見がある、素晴らしい群像劇です。

 

さて!

 

人それぞれの囲碁がある

オ次長は退社後に小さな商社を起業します。パク課長がらみで左遷させてしまったキム部長を、社長として呼び戻すオ次長の男気な!

 

そこで扱う最初の商品がヘルメット。

オ次長は小さな食堂の配達バイクを何度も借りて、商品であるヘルメットの安全性を自ら確かめるんですが、もうこれはウンジさんの事故があったからですよね。だから、試すのは普通のバイクでなく、配達用じゃなきゃダメなんです。

 

オ次長は会社を辞めてもなお、ウンジさんのことを忘れていない。

ドラマ上では、オ次長が「いいヘルメットだっ!!」とか言って大喜びしていてそれ以上の説明はないのですが、この人のこういう描写と演技が本当にいい。

グレもバイトでよくバイクに乗っていたね。オ次長はいつだって誰かのために働いてる。自分の罪が消えるとも思っていない。会社を追いやられても、どこにいても、やっぱりこの人は信念の人なのです。これがオ次長のやり方。

 

グレはワン・インターナショナルで働く中で、「それぞれの囲碁がある」ということに気づきます。バックグラウンドも、立場も、抱える問題もみな違うわけですから、会社に限らず社会での戦い方もそれぞれ違べきだし、違っていい。大切なのは、それを自分でちゃんと見つけられるか。慢心せずに前向きに、自分を活かして戦うことができるか。

 

グレは最初こそのコネで会社に入ったものの、それ以降は一度もズルや不正はしませんでした。社会での知識がない分、宣言通りの高い質と量の努力でもって仕事に取り組み、最後まで、勝負師らしく公正さと誠実さを忘れなかった。

彼は囲碁棋士として、自分の戦い方をすでに知っていた人物ですが、ワン・インターナショナルに入社してからは、それに拘泥せず、新しい知識を素直に吸収し経験を重ねていきました。自分の軸を持ちながら、どんどん成長していったところがグレの素晴らしいところですね。

 

 他の新入社員たちも自分なりの戦い方を見つけます。

ヨンイは雑用でも下働きでも文句も言わずにこなし、やがて業務でも活躍する場所を、あくまでも自分の能力と実力で獲得していきます。この人は最初から最後まで偉かったし、かっこよかった。

ベッキは自らの傲慢さ、幼稚さに気づくことで、社会人として心の成長を遂げました。グレやヨンイの背負ってるものを知るのは、同期で彼だけなんですよね。ヨンイがベッキに自分の過去を話したのは、ベッキがそれに対応するだけの度量をつけたと見越したからだと思うよ。

あと、面白いのが、ソンニュルと彼の直属のソン代理との結末で。

ドラマの佳境で、ソンニュルはソン代理が不正をしていることに気づき、告発するか凄く悩むんですね。彼はあまりに理不尽なソン代理の態度の告発に一度失敗しており、逆に自分の方が社内での立場が悪くなってしまった(告発者には制裁ルール)。いつもの元気がなくなってしまうっていう展開があったんです。

で今度は、ソン代理が取引先の会社の女性と男女の関係にあり、便宜を図りつつ何かしらの恩恵を受けていることを知る。二人が密会している現場の写真も押さえます。

けれども、迷った末に、ソンニュルは上司を告発することを断念する。以前の失敗から、この程度の写真だけでは、またも中途半端な告発にしかならないと判断するのです。これではプライベートを中途半端に暴露するだけで、きっとまた同じような展開になることは見えています。ソン代理は上司や周囲へのごまかし能力が異常に高いですしね。

 

しかし、ソン代理は思わぬ人物に、告発されてしまうのですよ。

ソン代理の相手の女性は既婚者で、その旦那が会社に乗り込んで来るのです。「おい、俺の女房と不倫してるだろ!」と。ソン代理はその場で旦那にボコボコされ、正式な処分までは描かれませんが、少なくとも社内での信頼を失ったことは間違いない。プライドが高い彼には相当キツい状況となるでしょう。

自分で告発しなかったことで、ソンニュルはある意味「勝つ」のです。

ドラマの中でグレは囲碁になぞらえて「戦いは待つことから始まる」って言うんだけど、ただ告発をすればいいというわけでもないんですよね。かといって、待っているだけでももどかしさは募るばかり。だけども、思いもよらない形で事態が収束することもある。

コミュニケーション能力が高く、行動力もある反面、少し短気でもあったソンニュルは、我慢強く待つということを学びました。新たな戦い方を、彼は身をもって知ったのだと思います。

また、これは「組織で正しいことを為せるのか」という観点から見ても、興味深い顛末でした。組織の外にも、世界は広く広がっているのです。(オ次長のかつての先輩で、後に一緒に起業することになる人物を後半に登場させたのも、本当に見事。会社とは限られた小さな世界に過ぎない。すべての見地が網羅されているドラマ)

 

 

人が集まるとそれぞれの思惑のせいで苦労は絶えませんが、悪いことばかりではありません。『ミセン』で描かれているのは、人間の多様性がもたらす組織や社会での可能性でもあると思います。

 

グレが契約社員としての終わりが見えそうな時、ソンニュル、ヨンイ、ベッキといった同期組をはじめ、周りの上司たちまでも、グレが正社員になれるように力を寄せました。そのどれもが、その人にしかできないやり方で。(ソンニュルの社内掲示板には涙しかないし、社内に訴えてる内容が、そのまま視聴者への問いかけになっている)

そして、皆の思いもむなしく、グレがワン・インターナショナルを去ったあとに、彼に手を差し伸べたのはオ次長。オ次長もまた自分にしかできないやり方で、グレを救った。

彼らのこの行動こそが、『ミセン』での最大のメッセージと言っていいのかもしれません。このあたりはヨルダンシーンで改めて明言されます。

 

私たちにはできないことや、うまくいかないことばかり。人生はなかなか思い通りになりません。ダメだとわかっていても、やらなければならない時もある。

だけど、もしうまくやり通せれば、何かが変わるかもしれない。人を救うなんておこがましいけれど、誰かの人生を良き方へ向かわせることができる可能性だってあるのです。そしてその方法も、誰がうまくできるのかも、やってみないとわかない。ひとりだけが頑張ったから、何かがうまくいくというものでもない。

 

そういう意味でも、先が見えなくても、失敗しても、「ひとりひとりが、その人らしく挑んでゆく」ということが大事なのだね。それぞれが行動しないことには、何も始まらないのだから。

 

 

ヨルダンシーンはあってよかったよ

この物語は全20話で(レンタルやBS版の一部だと、区切りを変えて話数を増やしてしますが)、最初と最後の舞台はなんとヨルダンです。大規模なアクションシーンもあります。

 

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物語の構成として、ヨルダンにやってきた現在と思われるカッコいいグレの姿をまず見せて、インターンが始まる過去に戻り、冒頭のヨルダンシーンのまで時を進めていきます。

最初のヨルダンに現れるチャン・グレはシャキっとしてて、英語も話すし、明らかに仕事ができる雰囲気。誰かを追っているようで、異国の地で、街を巻き込んだ追走劇が繰り広げられます。さて、主人公らしきこの若者は相手をとらえることができるのか…。

 

っていう一番山場のところで、時間は過去に戻る。さっきまでアクション俳優さながらにキレキレだった青年は、韓国の銭湯で掃除のバイトしていて、しかも早々にクビを言い渡されてしまいます。他にもバイトはしていますが、明らかに綱渡り生活で、性格もなんかおとなしい。この落差。この男の子はさっきと同じ人なんだよねぇ…?って感じです。

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(またこの銭湯シーンが素晴らしいんだ!グレの性格と入社前の境遇が、短い会話と立ち振る舞いでよくわかる。最終回まで見て、このシーンを見直したら即号泣した)

 

色んな感想があるのでしょうけれど、私はヨルダンシーンがあってすごくよかったと思うんですよね。ヨルダンシーンはミラクルじゃなくて、ご褒美というか(笑)、物語だからこそできるメッセージの伝達方法としてすごくアリだったと思うんですよ。ヨルダンないと辛いもん。

 

第一話のヨルダンシーンでまずいいな、と思ったのはヨルダンという実際『ミセン』の舞台になるソウルの会社とは全く違う場所を映し出しながら、『ミセン』の世界観をしっかりと宣言したところ。

 

冒頭はヨルダンの岩と砂ばかりの壮大な景色と共に、グレのこんなナレーションで始まります。

道というのは歩くのではなく、前に進むためにある。

前へ進めない道は道ではない。

道は皆に開かれているが、皆が持てるわけではない。

「あぁこのお話は、どう人生を歩むか、特に道を持たない者がどう前に進むか、っていうお話なんだ」とわかる。(画面は高い岩に挟まれた道、ぺトラ遺跡へと移り、ナレーションはより効果的。オ次長もちょっとだけ映ってるよ!)

とにかく『ミセン』においてこのモノローグはものすごく大事なので、どう視聴者の心に残すかって考えると、この方法がベストに思える。

これ、いきなりソウルの町とか会社とか映しちゃうと、たぶん余計な情報が多すぎて、言葉の印象が薄まる可能性が大きい気がするよ。

 

そして、何よりいいのは、グレの文字通りの、いわゆる「リープ・オブ・フェイス」シーンを見せたところですよ。

ある男を猛追し、高い建物の屋上まで追い詰めたグレ。すると男は屋上から隣の建物に飛び移るんです。曲芸師か(曲芸師っぽい顔してるんだわ、この人w)。

グレはどうするか。もちろん諦めません。成功するかもわからない、落ちたら大変なことになるにも関わらず、男が飛び移った建物に、グレは助走をつけて飛び込んでいく。

その瞬間に、もう一度ナレーション。

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道は皆に開かれているが、皆が持てるわけではない。

この主人公らしき青年には、自分の信念がちゃんとあり、信じるもののために危険をいとわず飛び込んでいく勇気がある。彼は特に、誰もが自分の進む道を持つことは難しいとわかっているからこそ、飛ぶんですよね。わざわざナレーションを念押しで入れている。

 

この後、時は過去に巻き戻り、グレという行くべき道がふさがってしまった青年が、全く場違いであるはずの会社で奮闘するわけですが、会社で働いていく中でも、彼は何度も「リープ・オブ・フェイス」をしていきます。同期の仲間たちや、上司たちだって、みな何かを信じて飛び込む場面がある。しかし、会社員生活の中での「リープ・オブ・フェイス」は画的にとても地味なものです。心はとても大きく動き、葛藤につぶされそうでも、日常生活でのそれは、なかなか目に見えない。

 

だからこそ、グレがジャンプしたシーンはかなり重要だし、物語的にものすごく意味があると思いました。ビルからビルへと飛び移るのと同じくらいの決断を、私たちはしているんだよっていう。

 

 他にもヨルダンシーンのいいところはあって、時系列での状況とはかけ離れた未来を先にちょい見せすることで結末を予感させる安心設計だとも言えるし、グレは自分で企画したヨルダンの案件を契約社員だからという理由で下ろされていたので「グレはヨルダンの仕事が今はできているよ!」っていう回収にもなるし(追記訂正:グレが降ろされたのはカザフスタンの案件でした汗2016/10/21)。その前から中東がらみの案件は色々でてきましたしね。

 

オフィスのシーンが延々と続くので、ヨルダンというかなり離れた場所を見せたことで、単純にドラマにスケール感が出たっていうのもありますよね。商社が舞台となっている物語なので、実際にやりとりをしてる国を最後にしっかり見せてるという点でもよかった。

 

あとはもう、最終回のメインイベントはぺトラシーンですよ。

こちらも本当に素晴らしかった。「このメッセージだけは絶対伝えるんだ!」っていう作り手の熱い思いが、静かにたぎりまくっている!!

 

 忘れられた遺跡と魯迅

「道というのは歩くのではなく、前に進むためにある。前へ進めない道は道ではない。

道は皆に開かれているが、皆が持てるわけではない」っていうのは、夢にやぶれ、社会的に何も持っていないグレにとって、とても厳しい言葉です。

 

道をもつことのできない人間は一体どうしたらいいのだろうか、というのは『ミセン』での最大のテーマでもありました。

最終回に、この問いに対する答えがはっきりと示されます。それがぺトラ遺跡でのシーンです。

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オ次長とグレがペドラ遺跡のエルカズネで語らうんですけど(もうご褒美としか言えないでしょ、このシチュエーション笑)、エルカズネの説明をした後、オ次長がこんなことを言うんですよ。ちょっと長いけど、引用します。

 

思い出したよ。

18歳の時の夢は世界をかけること。

インディー・ジョーンズを見て決心したんだ。

すっかり忘れてたが、ヨルダンに来て思い出した。

夢をな。

ぺトラも隊商貿易の衰退とともに、千年以上忘れられてきた。

そこで、こう思った。

夢を忘れたからといって、夢がなくなるというわけではない。

見えないからといって、道じゃないわけではない。

魯迅は言った。

「希望とは本来あるともないとも言えない。

 まるで地上の道のようだ。

 地上には元々道がなかった。

 行き交う人が増えると道ができるのだ」

 

 エルカズネっていうのはぺトラの入り口で、かつて隊商が必ず通った要所なのだそうです。商社マンであるオ次長とグレにとっては、聖地みたいな場所。そして『インディー・ジョーンズ3』の撮影地でもあります。

 

オ次長がグレに語り掛けていくセリフは、実に巧妙に考えられていて、ここでごちゃごちゃ言うのも無粋なほどなんですけども。素晴らしくて。

 ぺトラと魯迅を合わせて持ってきたのは、もう本当にすごい。心の底から感服しました。 

 

魯迅の引用は『故郷』という小説の結びの文章で、日本でも恐らくほどんどの人が学校の国語の授業で習う有名な作品です。

で、この「故郷」というお話のテーマは「格差」なんですよね。親しい幼馴染だった間柄でも、大人になれば「だんな様」と言わせてしまう、この不平等で格差ある社会とは一体何なのかっていう。まさに『ミセン』と同じ問題意識を持って書かれている小説です。

 

私もじつはこの小説に子供ながらにすごく衝撃を受けて、「道」っていう単語を聞くといつも魯迅のことを思い出していたんです。だから、第1話のナレーショ ンんですぐ「道」っ出てきた時に「もしかしてそうかな?」とは思ったんだけど、オ次長が魯迅の話をここでしてくれて滅茶苦茶うれしかった(笑)。

 

「夢を忘れたからといって、夢がなくなるというわけではない。見えないからといって、道じゃないわけではない」ってオ次長が言うだけでも素晴らしいんだけれども、このあとに魯迅を引用することによって、メッセージがすごく確固たるものになっている。だってあまりにも説得力があり、あまりにも内容がぴたーっとくるから。

 

漫画原作は読んでないし、脚本の構想とかそういうの全然わからないけれど、たぶん『ミセン』はこの魯迅の言葉を核にしてるはず…な気がするよ。最初のナレで「道」っワードをわざわざ入れてるし。

格差を生む社会っていうのは、ただ頑張ればどうにかなるものではない。オ次長はウンジさんの事件からそのことを十分すぎるほど痛感しています。能力があっても、一生懸命打ち込んでも、道を持たざる者だけが頑張っていても、限界がある。

だからこそ、最終的には皆がグレの正社員登用を願い行動を起こしたように、社会を変えるには、ひとりひとりが意識を変え、協力しながらおのおの行動にでるしかない。

グレが結局ワン・インターナショナルでは正社員になれなかったことを考えても、それは簡単なことではないんだけれど、それでもそれしか方法はない。みんなで変わっていくしかない。

 

グレはオ次長からこの感動的なメッセージを聞いて、ちょっと的はずれというか、ずれた反応をするんですけれど笑(「ん?で次長、なんで僕をここに呼んだんですか?」みたいな)、そりゃそうなんですよ。だってグレは十分やってるし、成長したし、変わらなきゃいけないのは、グレの周りにいる人々であり、社会であり、視聴者なのですから。

それに、オ次長はグレに「お前には希望があるんだぞ」って伝えたわけですが、グレはとっくにオ次長から希望を持つ力をもらってますしね。

 

オ次長もグレも、ある種希望を持てない状況で物語はスタートしましたけれど、グレが先に希望を見出し、グレを育て、成長を見守り続けた結果、やっとヨルダンでオ次長もまた希望を持つことを自分に許したというか。このシーンはグレのため以上に、オ次長のためにあったシーンだった気がします。

 

という訳で、「道をもつことのできない人間は一体どうしたらいいのだろうか」という命題への答えは、「本人も周りの人間も、協力してあきらめずに前に進む。行動する」ですね。シンプルだけど、難しい。ない道は、皆で作るしかない。

 

物語の最後、仕事のトラブルを解決し、何もないヨルダン砂漠の真っただ中を、わいわい楽しそうに車で走り去っていくチャン・グレとオ・サンシク。車の中で話すのは出会ったときをなぞらえた会話。でも二人の表情はまるで違います。

今の2人には、行くべき先がはっきり見えているのでしょう。道などない砂漠の上でも。

道というのは歩くのではなく、前に進むためにある。

前へ進めない道は道ではない。

道は皆に開かれているが、皆が持てるわけではない。

再び、道だ。

そして、一人ではない。  

(グレ最後のモノローグ)

 

運命のふたり

ヨルダンシーンがハッピーに終わり、今までの出演者やスタッフの写真も映され、物語の本当に最後の最後、シーンはグレの父親が亡くなり、斎場で遺影を前に母親が声をあげて泣き叫ぶ回想に戻ります。ドラマの序盤から何度か出てきたシーンに何故かまた戻る。棋士チャン・グレの未来が暗礁に乗り上げたあの日です。


この時、グレはいたたまれず、部屋から出て行くのですが、その際だれかにドンとぶつかります。
これまでぶつかった相手の顔は映りませんでした。まるでその誰かが社会そのもので、グレは社会から疎外されてしまった描写にも見えます。

 

しかし、この最後の最後、ぶつかった相手が明かされ物語は終わる。
それはイ・ウンジの訃報を聞き、血相を変えて斎場に駆け込んできたオ次長その人でした。

つまりグレとオ次長は時を同じくして、希望を失っていたわけです。

 

『ミセン』という物語は、同時期に希望をなくしてしまった二人が、時を経て出会い、互いに刺激を受け合い、苦難の末にようやく希望を取り戻す。そういうお話でもあったということが最後に伝えられます。運命の二人だったんですね。

 

オ次長とグレが安易な疑似親子に見えないような工夫が施されていることは、以前のエントリで書いたんですけれども、それでもね、やはりそういう要素が随所に二人にはありましたよ。だってさ、この二人はずっと相思相愛ですからね。

 

そういう深い信頼関係を築き上げたうえで、グレが急遽ヨルダンへ先に一人で行くことになった時、オ次長はグレがあまりに心配で「ああしろ。こうしろ」って、まさに父親が息子に言うみたいに電話で話すんです。するとグレは嬉しそうにこう言い返します。

「僕は大人ですよ」

あぁ父親と夢を同時に失ったグレは、完全に立ち直ったんだな、社会人として独立できたんだなって思いました。そしてこれはオ次長のおかげ(泣)。

 

一方、オ次長は、営業3課にやって来たグレに対して「なんでお前がくるんだ!アンさんがよかった!」と言い、以降この発言を最終回まで繰り返すのですが(ヨルダンでも言う笑)、これはヨンイが優秀なだけでなく、女性の部下を今度は守りたい、もう一度やり直したい、っていう気持ちからなのかなと思ったりもするんですよね。

オ次長はいきなりやってきたグレを社会人として育て、その後正社員として自社に迎い入れた。そしてグレがやっと独り立ちしたな、新たな道を歩き始めたな、というところまできて、やっとウンジさんの不幸な出来事に一区切りをつけることができたのだと思います。ヨルダンで夢とか希望っていう言葉を口にしたのは、心の回復があってこそ。

グレはウジンさんの代わりではないし、オ次長はグレの父の代わりでもない。失った人を取り戻すことはできないけれど、人はまた新たなの希望を得ることができる。

彼らは前に進んだのです。

 

『ミセン-未生』は名作すぎる

とにかく名作としか言いようがない『ミセン』。

単なるサラリーマン物語を超えており、「頑張れ」とは言わずに観る者たちを励まし、笑わせ、泣かせ、そして寄り添ってくれる、力強い人間ドラマでした。役者が全員パーフェクト、練られた台本、細やかな演出…すごいわ、これ。奇跡。よく考えたら、エリート集団の話なのに、そうではない自分が超共感してますからね。それだけ、人間の細部までを描いている、ということなのだと思います。

 

また主人公の名前がさ「クレ」っていうのがね。彼の名前は韓国語で肯定する言葉でもあるんですよね。「そうだ」「Yes」っていう。そんな名前を主人公与えることによって、このドラマは世界を肯定しているように見えるし、背中を押してくれるようにも思える。「嫌だなぁ」って思う出来事もいっぱい出てくるんだけど、それでも『ミセン』は世界を決して否定しないんだよ。

 

っていう具合に、ほんとに細かいところまでよくできてるから全部は書ききれないんだけれど(グレのお母さんの描き方とかもさ、めちゃくちゃ素晴らしいんだよなぁ…)、とにかく今は「『ミセン-未完-』よ、ありがとう!君たちを胸に抱いて私も踏ん張ってみるよ」とお礼を申し上げたい気分です。

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あぁ…いつまでも続いてしまいそうなので、このへんで…。

最後はオ次長がグレへ送った言葉で締めたいと思います。

 俺たちはまだ未生だ!

耐えろ…そして勝て!

 

 

ミセン -未生- DVD-BOX2

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