お出かけ手帳

誤字脱字病。書いては直す人生。

2018年の出来事

うーわ!

2018年が終わっちゃうよ!!!

 

今年も大変お世話になりました。

更新頻度が低いにもかかわらず、当地へ来訪くださる方がいらっしゃり、また時に励ましのお言葉まで頂くこともあり、感謝してもしきれない1年でした。ありがとうございました。

来年こそ『月の恋人』レビューを終え(まじで)、楽しい記事を上げるブログになるよう精進してまいります。来年もよろしくお願い申し上げます。

 

さて、今年は更新がなかなかできなかったわけですが、「下書き」と言いますか、途中まで書いて完結していない文章っていうのが実は結構あるんですね。うまくまとめれなくて。

で、ちょっと映画とかドラマの感想ではないんですが、書き途中の記事で、今年の私的出来事を代表するような内容がひとつありましたので、ちょっとアップしてみようかと思います。あんまり楽しいものでもないんですが、個人の記録として…。

 

☆  ☆  ☆  ☆

 

 

母に乳がんが見つかった。

今年の4月上旬のことだった。

 

その頃私は仕事が多忙をきわめており、家に帰っても寝るだけ、休みの日も寝るだけの生活を送っていた。つまり、全く家族に注意を払っていなかった。そのような生活が数か月が続いていた時だった。

 

ある朝、出勤準備をしていると母が「きのうお風呂に入っていたら、胸にしこりを見つけた気がするんだよ」と怯えた表情で私の部屋に飛び込んできた。私はすぐさま「今日病院に行きな」と命令した。直後、口調が少し強すぎたなと反省したけれど、今思えば私の人生で「よくやった」と自分を褒めたい数少ないことの一つになったかもしれない。母は本当にその日病院に行き、その後入院することになる。

 

その夜、母は「胸と腋に何かあったみたい。細胞をとって検査をしてもらっているよ」と不安げな笑みをたたえて報告してきた。私はそれを聞いて、まずいと思った。特に、「腋にもあった」という部分。

 

実は私は20代半ばで、自分の胸に複数のしこりがあることに気づき検診を受けたことがあった。幸いなことに良性だったんだけれども、その時にかなり真面目に乳がんについて調べていた。その内容は今ほとんど忘れている。だけど、「リンパへの転移があるか」というのは、乳がんの治療において大きな要素になることは覚えていた。

怖がりの母のために「まぁ良性ってこともあるから、まだどうなるかわからないね」と努めて涼しい態度でコメントした。

 

4月の半ば、採取した細胞検査の結果を聞きに、母は父を伴い病院へ行った。そしてあっさりとがん告知をされた。医師から「今見つかったのはラッキーだと思ってください」と言われ、とんとん拍子に入院と手術のスケジュールまで決めて帰宅した。ほとんど有無を言わさず決まってしまったようだ。入院日は約2週間後の5月1日。手術日は2日。

 

母の説明によると、治療の選択としてはまず「抗がん剤か」「手術か」。

そこで母は手術を選んだ。理由は「抗がん剤がいやだから」。

そして手術には「がん部分のみを切除する温存手術か」「全的手術か」という女性にとっては更に難しい選択があるという。それはまだ迷っている、と。

温存した場合抗がん剤使用は避けられず、再発の可能性も高まる。しかし、全摘はあまりにショックが大きい。

 

母の話には、正直いくつもの違和感があった。

まず、「抗がん剤が嫌だから手術をする」という部分。母は「全摘をすれば抗がん剤をしなくて済む」と思っているようだが、そんなことあり得るのだろうか。しかもリンパにも転移してるということだよね、これ(母は一度も「転移」という言葉を使わなかった)。仮に「抗がん剤を避け続けるルートの結果として全摘」を選んだあとに、「やっぱり抗がん剤も使いましょう」となった場合の衝撃は計り知れない。しかし、それは十分ありうることじゃないだろうか。

次に、がんの進行具合が具体的にわからないということ。「早く見つかってよかった」以上の情報がない。メディアで多く取り上げられているせいか、「がんという病気にはステージと呼ばれる進行具合を示す段階がある」ということは、今広く知られていることだと思う。しかし母はステージについては何も言わない。

「ステージがいくつだとか、そういう説明はなかったの?」

と聞いても、

「ステージ??うーん、そういうのは聞いてない…ね…」

と本当に聞いてないような困った人の顔をしていた。そもそもステージという概念を全く知らないようであった。

あれだけ毎日テレビにかじりついてドラマをみているのに、医療ドラマなんてもう数え切れないほど見ているはずなのに、なぜステージを知らないの…?といぶかしく、ほとんど腹も立ったが、わからないものはわからない。でも、病院が説明でステージを告げないことがあるの…?ステージが判明してないなんてことはありえないよね。

一緒について行ったはずの父からも補足が何もなかった。

 

結局いまでも「最初に病院の説明がどのようにされたのか」は藪の中で、想像するしかないのだけれど、たぶん本当にステージについては言わなかったのだと思う。そして、その判断は悪いものではないと信じている。それこそ今日のテレビドラマの「がん告知」シーンでは、ほとんど「ステージ告知」も伴っている。だけど、母のように「病気について全く知識がなく、人の話を理解するのが遅い」患者さんに、型どおりに告知することにどれだけ意味があるのか。情報過多で混乱させるだけかもしれない。

事実(当たり前だが)ステージは判明ししていた。リンパ節転移ありステージ3。しかし私がそれを知るのはもう少し後のことだ。

 

検査結果を受け、私は海外に短期留学中の妹に連絡した。

両親は遠方にいる娘に心配をかけないために、病気のことは知らせないつもりだったのかもしれないが、大きな病気で手術もするなら、例え乗り切ったとしても後から知る方が辛いんじゃないかと思った。家族の一員として今知っておいた方がいい。何より娘として私が1人で背負うには重すぎる。私は自分のために妹に連絡したのかもしれない。

 

☆  ☆  ☆  ☆

 

下書きはここまでです。

 

このあと、母は片方の乳房を全摘し、抗がん剤治療を耐え抜き(もちろんやった)、今は放射線治療を受けています。母の髪は全て抜け落ちましたが、最近チクチクしたものが生えてきたようで、頭を触ってみろとしきりに家族に要求してきます。そして、家族は渋々触ったり触らなかったりします。つまり、落ち込んだりもしたけれど、なんだかみんな元気です。「母が癌」というと、かなり重いし、本人はそりゃ辛いだろうけれど、それと同時に現実には妙に面白いことやアホみたいなことも多々あり、何故か深刻になりきれない。リアルな人生はなかなか物語にするのが難しいようです。混沌。しかし、その混沌さに助けられていたりもするのかもしれないですね。

 

もうね、なんなら今年の私は仕事のほうがよっぽど辛かったです。会社の人に身バレしてる可能性があるとわかった上でこれ書きますが(たぶん一部の友人にもバレてるんだよね…このまま当面知らんフリしてて下さい…)、本当に本当に仕事がつらかったです。。

 

けれども、すべては過ぎていきます。私たちの意志とは関係なく、いつも変化している。それが悲しくて仕方ない時もあるけれど、救いもなるから、生きることを恨めしく思わずに済むようです。

 

皆さま、今年がいい年だった人も悪かった人も、お疲れさまでした。

どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

何より、お身体たいせつに。

健康診断だけでなく、気になることがあってもなくても、乳がんの検診は定期的に受けましょう!是非に!

 

では、また来年!!!