お出かけ手帳

誤字脱字病。書いては直す人生。

『調査官ク・ギョンイ』 演劇とサンタクロース

☆完全にネタバレしています☆

 

面白かった!

ミステリー&コメディ&人間心理という感じで(雑ですまん)とても楽しみました。ちょっと昔っぽいポップな感じもあったけれども、世界観が作り込まれていてよかった。主演のイ・ヨンエさんも、最初は「こんな生活してて、こんなにお肌がきれいな訳ないだろう」と思いつつも笑、面白ヨンエさんに慣れると、一気に好きになりました笑。

主要な役がほぼ女性、小さな役も役職のある役は基本女性、というのも良かったです。心温まるシスターフッドの物語もいいけれど、こういう女同士で共闘したり裏切ったりするのもよいです。Xジェンダーと思われるキャラクターもいましたね。

 

 

ギョンイ「あなたは賢い」

イギョン「だから?」

ギョンイ「その賢い頭で悪人を殺さずに、いい人を助けるべきだった。そしたら独りにならなかった」

(最終回より)

 

イギョンと演劇

とても凝った作品作りがされていて、色々面白いところがあるんですが、特に印象に残ったのは「演劇」をモチーフにしているところ。

 

物語の中心となる殺人犯イギョン(K)は高校時代に演劇部に所属し、卒業後も演劇を続けているという設定でしたが、このイギョン、演劇が大好きなのにめちゃくちゃ下手で、ちぐはぐな態度で演劇仲間ともうまく人間関係を築けていません。

ここがまず大事なポイントだと思いました。

 

イギョンは人と感覚が違うせいで、なかなかうまく人との絆を結べない。彼女が人を殺すのは、誰かが憎む人間を代わりに殺すことで、その人との絆を作ろうとしているからです。「普通」の感覚はできない殺人を、社会の規範から外れているイギョンには難なくできてしまう。

しかし、実際に代わりに殺したところで、ほとんどの場合は感謝されるどころか恐怖され、絆は断ち切られます。人間関係を築きたくて人を殺すのに、人を殺せば人は離れていく。

 

イギョンは人の輪に入れず、見ているだけ。人々は舞台の上(=社会)で輝き、自分は見ているだけの観客です。しかし、見ているだけは孤独と同義であり、彼女は何度も殺人を犯しながら繋がりを求めます。悪人を殺せるのは私しかいない、という自負も、行動を加速させます。しかし、人殺しだと表立って言うと警察に捕まってしまうので言えず、孤独なまま。どこまで行っても社会の外側にいる。なんという皮肉でしょう。

 

最終回でイギョンは文字通り劇場内の舞台の上からの殺人を画策し、スポットライトを一身に浴びます。が、観客は誰もいませんでした。自分を理解してくれるのはその時同じ舞台の上にいた主人公のク・ギョンイだけ。イギョンは涙を流します。しかし、ギョンイはイギョンのために殺人は犯さない。孤独な二人は互いを理解しますが、方向性がまるで違います。そもそも名前がギョンイとイギョンでひっくり返っている背中合わせの存在で、殺人者と元警察官(法の順守)という意味でも真逆。

 

その後、客席に突入してきたヨン局長たちが、舞台の上にいるイギョンに銃を向けているのも意味深い。「観客」は敵になりえます。普段は観客であるイギョンも、舞台の上にいる人を殺しているのです。

 

演じるイギョン

そんなイギョンが唯一絆を感じ、彼女を社会につなぎ留めていたのが、幼い頃に自分を引き取り育ててくれた伯母ジョンヨン。しかし、イギョンは伯母の前ではいい子を演じていて、本心を見せることはありません。伯母と良好な関係を保つにはダークサイドを見せるわけにはいかないイギョンですが、本当に良好な人間関係に演技は必要ないということを知りません。台本だってないのです(イギョンは自分の台本通りにいかないと癇癪を起こす)。イギョンは伯母といる時はある意味「舞台」に上がれているわけですが、イギョンが憧れている「舞台」の上の人々は、関係が良好であればあるほど、実は演技などしていません。

 

伯母は愛するイギョンには本心で接しており、その彼女が文字通りの舞台に上がってしまった時に悲劇は起きました。彼女は舞台の上でも誰の台本通りにも動くことはせず、思いのままに行動します。

結果、イギョンの台本通りに殺人が進まず、誤って伯母を殺してしまう。イギョンは完全に社会性を失います。

 

また、演技という点において、ヨン局長は息子に(特に次男に対して)いい子の演技を強要しますが、演技を強要すればするほど、息子は反発し、反社会的な行動を起こしているのも、印象深いです。

 

「見ているだけ」VS「行動を起こす」

「見ているだけ」の状態は人を孤独にさせますが、同時に罪になることもあります。物語で描かれるように、船から海に男性が落ちた際、それを側にいた人は保身のためにただ「見ているだけ」で助けようともせず、男性は亡くなってしまいました(しかも男性が海に落ちる原因を作ったのはその場にいたヨンの次男)。彼らは直接男性を殺したわけではありませんが、男性を死に追いやりました。ただ「見ているだけ」が罪になることもあるのです。

作中ではある女性の動画が拡散され、女性が大変な窮地に追い込まれますが、動画を拡散した人物だけでなく、その動画をただ「見ているだけ」の沢山の人々にも罪があります。

 

ヨン局長は終盤まで自分では何も行動を起こさず、状況を「見ているだけ」で、実際には部下に罪を犯させます。しかし、彼女の上にはさらに「見ているだけ」の僧侶がおり(この僧侶が男性なのも意味深い)、僧侶の指示で動いていた。問題は深刻であり、簡単に構造をかえることすら難しく思えてしまいます。

 

見ること(状況を知ること)は大事ですが、実際に行動を起こさなければ人を助けることはできません。主人公であるク・ギョンイは実際に行動を起こし、人を助ける存在として描かれます。引きこもりの中でもゲームの中で助け合い、調査官となった後も、仲間と助け合って事件を解決しています。

最終回で、ギョンイのゲーム仲間がパルクールをしながら派手なアクションで病院にやって来てギョンイに物資を届けるシーンも、行動を起こし助けることの大切さを強調していたように思います。

 

一方で、イギョンが特別なのも、「見ているだけ」でなく行動を起こしているところであり、誰かが殺したいほどに憎む人物を殺すことで、ある種「人を助けて」しまっているところ。殺人を犯せば犯すほど孤独になりますが、と同時に断ち切り難い繋がりが生まれてしまうこともあります。それが、ゴヌクであり、イギョンの協力者たちです(ゴヌクが監視カメラを駆使する警備の仕事をしているのも、意味深い。彼もまた、見ているだけでなく行動を起こしている人物)。

 

しかし、どんな人間であろうと殺人は一線を越えてはならない罪なのです。

 

 

疑うのではなく、信じる

仲間たちと助け合い事件を解決していくギョンイですが、彼女の人生にも他者と大きく信頼が揺らいだことがあります。その相手は亡き夫。ギョンイはかつて夫を疑い、夫は自殺してしまった、ということになっています(はっきりした真相は最後までわからない)。

 

一番の理解者同士であったはずの夫婦が、ある事件をきっかけに、妻は夫を「信じ行動を起こす」対象から「ただ見ているだけ」の対象にしてしまった。そのことに夫は深く傷ついたでしょう。そして夫が亡くなり、ギョンイも深く傷つき、警察官を辞して社会生活を放棄します(ギョンイもイギョンとは別の意味で社会の外側にいる存在になった)。

 

ギョンイは夫が亡くなってもなお、よく人を疑っており(特に序盤)、一方で疑うことで事件解決の糸口を得ます(そもそも警官は疑うのが仕事のひとつ)。しかし、自分一人でなく、チームで行動することで、信じる気持ちを完全に取り戻します(引きこもりの間もゲームの中では助け合う気持ちを捨ててはいなかった)。その一番の相手がサンタです。彼は夫の死の真相を知っているようでしたが、それでもギョンイは今まで共に過ごしてきたサンタを、自分が見てきたサンタを信じ、これからもチームでいることを提案します。

 

また、この「信じる」という点では、イギョンの殺人を助けるゴヌクも印象深いです、ゴヌクはイギョンに心を開き信頼していましたが(心を開くと訛りが全開になる)、デホとの恋愛関係が進むにつれイギョンを避けるようになります(デホにも訛り全開)。イギョンは嫉妬。しかし、ゴヌクはデホに殺人を犯していることを言えないため完全にありのままには振舞えず、デホとも別れざるを得なくなってしまいます。

デホはゴヌクが殺人犯であることを知りますが、自分が見たゴヌクも信じているため、ゴヌクが昏睡にあるなか、目が覚めるまで側にいると決めます(個人的に今年見た韓ドラカップルのなかでも、トップクラスの素敵な交際だった)。

 

サンタを信じることができるか

サンタはもともと、ギョンイのゲーム仲間でしたが、実は実際に会う前に、ギョンイの住む団地で清掃をしているシーンがありました(1話)。しかも明らかにギョンイのことを見守っていた。

ギョンイと顔を合わせてから彼は、甲斐甲斐しくギョンイの世話を焼き、ギョンイを見返りなく助けていきます。また、ギョンイがピンチになると心底心配しています。無条件にギョンイを慕っているように見えました。

 

物語の後半では、サンタがギョンイだけを見守っているような生活をしていることがわかり、いよいよ謎が深まる中、最終回で夫の死に関係がありそうであることが明かされました(少なくとも真相は知っていそう)。

 

彼がギョンイを助けるのは、夫の死に関係したことからくる罪悪感からなのか。

 

しかし、ギョンイは自分の知っているサンタを、共に助け合ってきたサンタを信じることにします。

 

サンタはギョンイにとって、「見ているだけ」でなく、行動を起こし助けてくれる存在です。人が生きていくには、そんな存在を信じることが必要な時があります。ピンチの時に、見ているだけでなく、行動を起こしてくれる存在がどこかにいてくれるかもしれない、と思えるか思えないかは、実際にそんな人がいるかどうか以上に大事なのです。私たちがサンタクロースを子供たちに信じさせるのは、「正体はわからないけれども、自分を見ているだけでなく、自分のために無条件に行動を起こしてくれる存在」を信じる力が、生きるために必要だとわかっているからかもしれません。

 

イギョンは幼少時に、父親が起こした悲しくおぞましい事件のせいで、たった一人で一週間も暗い森の中を彷徨いました。誰も自分を見ていない、助けてもくれない。そんな長い時間を一人で過ごしたのです。彼女がサンタクロースを信じるのは到底難しいことだったでしょう。目の前のサンタのこともギョンイとは違い、全く信じてはいません。

連行される車の中から、ギョンイたちを寂しそうに見つめますが、そこにはサンタクロースのバルーンが象徴的に置かれています。ギョンイたちはサンタを信じているし、社会の一員として確かに舞台の上にいます。

 

物語の最後、イギョンは独房に収監され、もう誰のことも見ることができません。人々が生きる世界、この社会そのものが舞台だったのに、もう観客になることすらできないのです。遠くから聞こえる別の収監者の「殺したい」という声にいてもたってもいられなくなりますが、牢のせいでその発言者の姿を見ることもできない。にもかかわらず、イギョンはその相手をどうにか見ようと必死です。彼女はいつまでも他者との繋がりを渇望しています。

 

 

 

そういえばクリスマスっぽいお話だったなと思い、急いで今日書きました汗。細かい仕掛けが色々ある作品なので抜けが確実にありそうだけども、とにかく今日アップすることに意義がある…気がする笑。

「見ているだけでなく行動を起こす」ことの負の面は、『D.P.』でも『地獄が呼んでいるでも描かれていたので、韓国での一つのテーマになっているのかな。もちろんこれは世界的なテーマでもありますが。。。

 

ともあれ。

メリークリスマス!

サンタさんはきっといるよ!!