お出かけ手帳

誤字脱字病。書いては直す人生。

『ザ・グローリー』を見たよ

☆ネタバレしています。

 

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あらすじ

高校時代に同級生グループからいじめという名の凄惨な暴力行為を受けた主人公ドンウンは、十数年後、仲間の協力を得ながら徹底的な復讐を果たす。

 

『ザ・グローリー』

夢中になって見ました!!!

全てを描き尽くしていないのに(描写には絶妙な省略がある)、近年まれにみるほどの緻密な内容で、徹底した復讐劇でした。

 

ただ、暴力描写がかなりキツいので(ヘアアイロンで火傷させるのは韓国で実際にあったことだそうです)、そういうシーンを避けたい方はイジメ描写を早送りかスキップしてもいい気がします(1話はほとんど飛ばすことになる)。それでも一応話にはついて行けるかとは思います。でも無理しないでください。校内暴力、家庭内暴力、性暴力…様々な暴力が出てきます。

 

とやや脅しっぽく書いてしまいましたが、それでも見てよかったと思えるほどに素晴しかったです。今、とても苦しい状況にある人を励まし、勇気づける内容となっていると思います。

 

それにしても、注意喚起が必要なほど過酷な暴力描写があるのに、なぜ夢中になって見続けることができるのか。それは、ミステリー的要素をふんだんに盛り込んだ先が見えない展開のお陰でもありますが、別の大きな理由のひとつとしては、「心あるキャラはみな主人公の復讐を手伝ってくれる」ということがあると思います。復讐モノによく出てくる「復讐なんてしないで今を生きよう」とか言ってくる人は少ししかおらず(いることにはいる)、善なる人物はなんらかの形で必ず協力してくれる。彼らの存在が、主人公だけでなく、視聴者の心の防波堤になっていると思います。この善なる人々がもしかしたらこの作品における一番のフィクションかもしれないですが(こう書くと悲しい)、どこかにいてほしいし、自分もそういう存在でありたいと思ってしまいますね。

 

演技を含め、キャラクター造形も素晴らしかった。

 

強烈な加害者たちは見事な悪者で、しかし端々で実は彼らもそもそもは被害者であったことがさり気なく描かれます。

特に主犯のヨンジンは父親から、ジェジュンは両親から、見捨てられている存在で(ヨンジンは「既婚者とは寝ない」と発言してたので父親が女に走ったのかな…と。「良妻賢母」が夢なのも結構本心な気がする)、コンプレックスもそれぞれ強い。特にジェジュン色盲というある種わかりやすいコンプレックス設定が与えられていました。たまたま親が有力者だったため、(恐らく)憎んだ親のおかげでいい暮らしができているっていう自己矛盾みたいなものがいつもありそう。二人ともお金はあるけど、誰にも心からは大切に思われていなくて、自尊心が育たず、虚勢しかない人生なんだよね。だからこそ、そこを突いたソヒは殺されてしまう

 

ヨンジンは勉強できないことをほっておかれてるあたり、実は母親にも放置されてるんですよね。母はヨンジンどころじゃない感じ。娘が問題を起こさなければ、もっとほっといていた気がします。母親が「名前に○が入ってる子と付き合うな」と言っても、ヨンジンはドンウンをはじめ執着をやめないけど、これは母への反抗でもあるし、母に対しての執着の裏返しなんだろうなと思います。執着で言うとドンウンへの執着は、自分自身の弱さへの執着でもある気がしますね(加害者全員にこの傾向はあり。強くあらねば、と思えば思うほど、弱いと決めつけた存在を痛めつける)。

 

本当はヨンジンがとジェジュンが普通にくっついて楽しく暮らしてくれたらあんな酷い事態になることもなかった気がするんだけど、現状を受け入れることになっちゃうから嫌なんでしょうね。それぞれ娘と犬を過保護に愛しすぎるあたりは、そうされたかったという願望のようで痛々しかったです。心の成長が幼児期で止まってしまっているんですよね。

 

サラも主犯と言っていいと思うけど、ヨンジンやジェジュンが愛を求める一方で、この人はめちゃくちゃ即物的に生きていて、今さえ良ければどうでもいいって感じ。主体性が何もない。一応親からは構われてるけど、彼らがやってる新興宗教の裏側を見て育ってるから、何も信じられなくなっている。かと思えば、都合のいい時に宗教を引っ張り出して「私はもう許されている」とドンウンに言ったりしてるんですよね。宗教やってる人が勝手に「許されてしまう」問題は、映画『シークレットサンシャイン』をちょっと思い出させました。

 

宗教で言うと、サラ一家やヨンジンの母だけじゃなく、へジョンも寺に行ったりしてて、悪い人達が、いいように宗教を使っていましたね。

 

ただ、ヨンジン母あたりは結構ガチというか、かなり信じている感じ。悪いことをしている自覚があるからこそ、祈ったりしてるということもあるのかな。シャーマンの側で泣きながら祈ってましたもんね。いろんな意味で宗教ぐらいしか頼る存在がいないというか、物理的に安心できる場所もそこしかないというか(信じてなさそうなヨンジンも逃げ場所はここしかない)。孤独なんですよね。それにしたって、ヨンジンオンマは貧乏人を舐めすぎ(だから、人を轢いても示談できるとタカをくくる)。

 

へジョンもね、立場的にはいじめに同調するしかないんだけど、そもそも上昇志向が強いから自分からいじめグループにいつまでもついて行ったりしている。せめて高校卒業したら離れなよ…。

結婚のために産婦人科で検査するシーンで「(病気以外は)バレないよね?」みたいに聞いていて、この人にも色々あったのだろうなと思わずにはいられませんでした(婚約者と性交渉する前に相手のことを秘密裏にミョンオに調べさせていた)。

上半身をあらわにするシーンがあり驚いたけど、あれはCGと代役の方がいたとのこと(それでも大変ですよね)。俳優さんのインタビューで「へジョンが唯一他の子よりも誇れるのは体。このシーンは最初から決まっていた」とおっしゃってて、なるほど…と思いました。

ミョンオも裕福ではないゆえ下僕扱いだけど、紛れもないクソ男であり、やはり金持ちから離れることができず…。

 

そんなふうに、実は加害者はみな被害者の側面があるけれども(ヨンジンの母すらも夫に捨てられた時は被害者)、でも被害者が加害者になっていいわけじゃない。

 

主人公のドンウンはそもそも酷い母親を持ってしまった被害者でした(あそこまで会話不成立なオンマ、韓国ドラマでも早々ない)。でも誰かをイジメたり、暴力をするような子ではなかった。夢を持って生きていた。夫からDVされてたヒョンナムも、「陽気な被害者」で子どもを守ろうと奮闘する(ヒョンナムさんの探偵の才能が開花する展開がすごくよかった!母の運転をカッコいいと言う娘もよかった!)。被害者遺族のヨジョンも心では打ちのめされながらも前向きに生きてきた(ナイフを集めて、妄想では犯人を刺したりたりしてたけど、現実ではサイダーがシュワシュワするのを見て、すっきりしないモヤモヤを心ばかり癒すだけだった)。

加害者がもともと被害者であった、というのは言い訳に過ぎない、ということを厳しく描いたドラマだと思います。

<追記:ドンウンも被害者が加害者に転じる話ではあるんだけれども、人生をかけた復讐ならば「神」も目をつぶってくれるのでは…というお話なんですよね。たしか1話でドンウンも「これは寓話なんだ」って言ってた気がします。>

 

一方で、ヨンジンの夫ドヨンがとても興味深いキャラで、一番成長があった人かもしれないですね。この人は自分で決めることに重きを置くタイプで、元々は妻をブランド品を選ぶようにしか選んでいなかったけれども、「娘を守りたい」と心から思った時から変わっていく。騎士になり、死神にもなる。

人間、良くも悪くも変わることができるほど子どもを愛せるのに、時に他者もまた誰かの子どもであるということに思い至らないことがあるのは悲劇的なことです。

 

今の時代はこのドラマのようなある種の「勧善懲悪」を描くことが難しく、復讐が成功したとしても、復讐した者にもある種の報いがあることが多いですよね。

でも、この主人公ドンウンは、既に多くを失い、時が止まっている状態なので、人生を取り戻すためにこの復讐が絶対に必要で、かつ報いを受ける必要はない。教師も警察も動いてくれないなかで、自らが復讐することが正義なのです。この展開はいじめ問題に対する作品からの強いメッセージだなと思いました。かなり説得力がありました。

 

日本でも壮絶ないじめは存在しますが、それが多くの人に伝わるのは、被害者亡くなることがきっかけになってしまうことが残念ながら多いですよね。

 

最近でも旭川の中学生が信じられないような酷いいじめを受けて亡くなってしまっていて、けっこう今作と重なるところも多いと感じます。いじめ自体も酷いですが、伝え聞く限り、学校や警察の対応とかもかなり酷い。この事件に関しては、まだ表に出ていない加害行為や、他の被害者もいるのではないかと個人的には思ってしまいます(今作を見た上で、事件の経緯を改めて読むと、今まで以上に引っかかるところがある)。

 

ドラマ内でも教師の事なかれ主義を超えた隠ぺい体質や、教師同士のいじめが描かれますが、いじめが加速するのは、警察や行政を含め周囲の大人が組織化され、保守化することも一因な気がします。規範を作るはずの人たちがめちゃくちゃなんだ。もちろん社会全体に漂う格差による差別や人権意識の薄さも起因しているでしょう。止まらない競争意識も。何より、人間には本能的に破壊衝動がある。時に無意識のまま、直接的、間接的に、欲しいもののために壊すことがある。壊すことで喜びを感じることがある。

つまり、いじめ問題は社会全体の問題であり、根源的な人間の問題でもあるということです。この世からいじめをなくすのは、たぶん戦争を根本的になくすのと同じくらいの人類の叡智と行動が必要で、だからこそ私たちは努力しなくちゃいけない。

 

『ザ・グローリー』は素晴らしい作品ですが、実際にいじめ事件で亡くなる方がおり、解決が難しいなかで、今作の復讐っぷりにスッキリしている場合ではないのだ、と肝に銘じたいと思います。