☆ネタバレしています☆
向こうの最新放送がかなりヤバいことになっているよ(泣)。もはや8話が遠い昔の出来事過ぎて…。でもこれ、積み重ねて見てるからこそ泣けるんだよね…。
<第8話のあらすじ>
ヘスのメイクのおかげで仮面を外したワン・ソが皇子として覚醒します。
第8話はこれしかないでしょう!もちろん、色々ことは起こりますが、今回はとりあえず、この一言でまとめてみた(笑)。
しかも、最後はとびきりの仕掛けありです。ウクとラブラブな一方で、ソと信頼関係を築き、いよいよヒロインはどっちを選ぶか迷い始めるのかしら…なんて思ってたところで、ヘスがワン・ソこそ「血の君主」光宗だと気づくっていう。見事な流れでした。しかも、あの見せ方。ビジュアルの力ってすごい。イ・ジュンギさんのカリスマも一気にスパークしておりました。あの最後は、超鳥肌。
あとは、オ尚宮ですね。皇后ユ氏との確執やヘスと絆が生まれていく様子なども描かれました。このあたりの伏線も、大事になってきます。
雨乞い祭っていうイベントを大きなスケールで描きつつ、ソの心の葛藤と覚醒、そして、「運命か意志か」っていうテーマにも踏み込んだ非常にダイナミックな1時間になっています。このあたりから、どんどん面白さと重さが増してていきます。
第8話はワン・ソの自己受容の過程
ワン・ソは顔の傷があることをきっかけに、家族からも、社会からも疎外されてしまった人物です。顔の傷があるという事実以上に、そのせいで数え切れぬほど心を傷つけられ、レッテルを貼られてきた。特に、愛する母親に強烈に拒絶されてますからね。誰かに受け入れられたと思ったことがない人生。そして、そんな自分を受け入れることができなかった人生。
第7話の最後、ソは兄弟たちとヘスに素顔を見せますが、彼が気になってしまうのは、自分が親しさを覚えているヘスとペクアの反応でした。
ヘスが自分の顔の傷をまっすぐ見つめたことを怒り、ぺクアが目を背けたことに悲しむソ。
「なぜ俺を見ずに目を閉じたのだ?」
「兄上が嫌かと…。寂しかったですか?」
ペクアの「寂しかった?」ってすごくいいなと思ってしまった。優しい人じゃないと、すっと出てこないよ、この言葉。ペクアはまわりのキャラに癒しを与える役割を担っていると思います。ソも素直に寂しかったことを認める。
「確かに人の心が一番怖い。見て寂しい人も。見ないで寂しい人もいる。俺も自分の心がわからぬ。いつでも俺をまっすぐに見ろ、お前は」
ヘスとペクアの反応は正反対ですが、どちらもソを想いやってのことですよね。だけど、ソはどちらも寂しく思う。どちらも拒絶のサインとして感じてしまう。なぜなら、ソ自身がこの顔の傷のせいで、自分を受け入れることができていないからです。根っこの部分で自分を承認できていないから、どこか「拒絶されても仕方ない」と思っているはず。でも好きな人たちには嫌われたくない。あぁワン・ソよ。
ソが仮面を被っているのは、彼が自分を認めていないし、これ以上拒絶されたくない、というサインでもあります。
あと、「人の心が一番怖い」っていうのはヘスがソに言った言葉ですね(4話)。「私は皇子様より自分が一番怖いです。自分の心なのに、どこに向かうかわかりません」って。その時ヘスは、ウクを好きな自分のことを念頭に言ってましたけどね。
本当に心って怖いし、難しい…。
日照りが続く高麗で、雨乞い祭の祭祀に選ばれたソ(詳しくは次エントリで)。
民の前で儀式をしながら町を練り歩くんだけど、祭祀が仮面をつけたソだと気づいた民衆は、ソに向かって野次を飛ばしまくり、石や泥を投げまくり。この人もともと民に「オオカミ犬」って呼ばれてて評判超悪いし、顔に傷があり仮面を被っていることに対して「あれは怪物だ」「人間じゃない」「縁起悪い」とかってもう滅茶苦茶やられるわけです。雨が降らないのとソは何の関係もないのに。エスケープゴートですね。
皇宮に逃げ帰ったソ。そんな姿を、待ち構えていた宮廷中の人々に見られてしまいます。これはしんどい。
その日、雨は降りませんでした。
次の日もまた、なんだかんだでジモンに雨乞いの儀式へ出るよう言われるソ。
民衆にののしられたソは、拒否します。
そこでジモンは、ソ抱える問題をストレートに指摘するんですね。
「簡単に殺生する方があの程度で意気消沈を?」
「あの程度?」
「皇子様は顔の傷を気にしずぎです。それを乗り越えねば、皇太子の力にもなれず。皇后さまへの恨みも消えません」
「わざと俺を祭主に選び、恥をかかせたのか?最悪な目に遭えば、乗り越えられると?そうなのか?」
「ご存じでしたか。堂々となされば、石も投げられません」
民衆がなぜワン・ソを滅茶苦茶にしたかっていうと、今までの素行はもとより、「自分を受け入れていない人物は、他者を真に助けたり、信じたりはしない」と本能的に気づいているから。逆に顔に傷があろうとなんだろうと、自分を受け入れ、堂々としていれば、必ず人はついてくる。そのことが、ジモンにはわかっているのです。
でも…傷がある方はそれで何度も嫌な思いをしているから、気にしすぎって言われるのはすごく心外でもあるんですよね。乗り越えなきゃいけないのもわかっているけど、あまりにも長く背負ってきた傷なので、その方法がわからない。
その突破口となるのが、ヘスのかける言葉であり、ヘスの施した化粧でした。
ワン・ソは拒絶を何より恐れているで、ここにきてもなかなかヘスを信じきれません。ソは仮面を外しても尚、ヘスとこんな会話をしている。
「この顔が気持ち悪くないのか?憐みか?」
「私を殺すという人を憐れめと?このわずかな傷で人生が暗くなるのは悔しいですね」
「信じていいのか?いつもお前を疑っていた」
「信じて下されば、私は変わりません。約束します」
「お前なら任せられそうだ。好きにしろ。俺はもう、お前のものだ」
ここで「いつもお前を疑っていた」ってすごく率直だな、と思いました。思えば、傷をまっすぐ見たヘスに激怒して「もう俺の前に現れるな!!」ってソが言ったのも、ヘスをある意味試していたんですよね。ヘスを信じたいけど、裏切られたくない気持ちで揺らぎまくっていた。
この会話を経て、やっとソは初めて人を心から信じる。ヘスを信じる。「俺はもう、お前のものだ」が「私はあなたを信じる」っということであるならば、初期からソがヘスに言っていた「お前は俺の者だ」は「私を信じろ」ってことなのだよなぁ。本当に根が健気な人だよ。
化粧で仮面をとったソは、雨乞い儀式のために町へ再び降りますが、今度は民に崇められます。ソは一人の人間を心から信じたことで自分をさらす覚悟を決め、それによって他者からも「信頼できる」人物だと判断されるのです。また、民衆に受け入られたソは「自分の存在には価値がある」と感じられたはず。
そして、雨が降る。
ワン・ソは世界に受け入れられたことを実感し、自分自身を受容します。
詳しい心理学的なところはわからないんですけれども、この第8話では、ソが自分を受け入れていく過程をしっかり描いているように感じました。キム・ギュテ監督は『大丈夫、愛だ』で深層心理についてはかなり深く扱っているので、こちらでも慎重に丁寧にやっているはず。
ワン・ソの傷は化粧で依然「隠している」状態であり、傷そのものがなくなったわけではありません。でも、何より大事なのは、ワン・ソが人を信じたこと、そして自分を受け入れていないことの証であった仮面から解放されたことです。自由になったのです。
7話では「弱点」がテーマとなっていて、その流れでうまく8話の自己受容の話にもっていったように感じました。
自分を受け入れるって、誰にとっても難しいことですね。
つづきます。