お出かけ手帳

誤字脱字病。書いては直す人生。

『ムービング』 動くもの、動かないもの

※ネタバレが少しあります!

 

f:id:mikanmikan00:20231021174517j:image

 

おもしろくて毎週楽しみに見てました!

 

特にドラマの前半は、超能力者のマイノリティとしての生きづらさやそれぞれのキャラクターの歴史、なにより親子愛が描かれていて、かなり面白かったです。多様性や家族愛など、配信しているディズニーとも相性のいい安心して見られる内容。細かい描写まで素晴らしかったです。

 

が、最後の方はだんだんと怖い展開に…。この作品を「怖い」と言ってる人をSNSのタイムラインなどでは見ないので、私の読み間違えかもしれませんが、やっぱりどう考えても怖いことを色々示唆しているお話だと思います。

 

物語の後半では、だんだんと韓国と北朝鮮との闘いが色濃くなっていきます。この戦闘シーンが長いんだ笑。全然話が進まない。

 

でも、これだけの世界観を作り上げている制作陣が、ただ時間を引き延ばすためだけに戦闘シーンを長くしているわけはないでしょう。あえて長くする意図があるはずです。

 

そう考えているうちにまず気づいたのは、この物語では、戦いの構図や置かれている立場が状況によってガラッと変わってしまうこと。いい人が悪い人になったり、いい人同士のはずなのに敵対していたり、悪い人がいい人になったり。これが、このドラマを深堀していくきっかけとなりました。

 

『ムービング』は立場の反転を多く描いています。そもそも、ヒーロー的存在であった能力者達が今は一般庶民として静かに暮らしている、という前半~中盤からして大きな反転描写でした。いつも美しく可憐なハン・ヒョジュさんが、化粧っ気のない男子高校生の母ちゃんであるミヒョンを演じているのもイメージの反転がありますし、トップエージェントのドゥシクは逃亡者に。ジェマンは社会的弱者でありながら肉体的に強靭すぎる特殊能力を持っていて、さらにジュウォンとジヒの組み合わせは、ジュウォンが暴力団員から公務員に、売春婦から優しい妻であり母に、と反転が強調されています。

 

後半になると、北朝鮮側の能力者が出てきて、最初は完全な悪役なわけなんですが、だんだんとこの人達にも事情があり元々は善なる心を持っていることがわかる。

 

本当ならどちらも善なる存在なはずなのに、韓国と北朝鮮の能力者たちは死闘を繰り広げるわけです。この展開の前に、わざわざジュウォンとジェマンの善同士での死闘も描かれていて、この「どちらも善なのに命がけで戦っている」という構図はかなり意識されていると思います。

 

そして、ミヒョンは北朝鮮の敵対者に「子どものためなら親は怪物にだってなる」と宣言する。これは、家族愛の文脈からみると感動的で、この世界観なら当然の正義とも思えるんですが、これは敵にとっても同じことが言えるわけで。北朝鮮側の能力者も家族や仲間のために戦っている。つまり、「戦闘状態において、正義というのはかなり脆弱であり、主観的でしかない」ということがよくわかります。誰がヒーローで、誰が悪者なのかは、どこから見るかで簡単にひっくり返るのです。この物語は戦争で人々が置かれる状況を描いていて、戦闘シーンが長いのは、単に物語を盛り上げるためだけではなく、この点を描くためでもあるように思います。『ムービング』というタイトルには、時間、空間、感情などの移動だけでなく、意味や関係性の移動という意味も込められている気がしますね。

 

でまた、この作品は家族愛、親子愛を大事なテーマとして描いているわけですが、その家族愛と戦争は怖いほどに相性がとてもいいんです。家族のために、子のために、親のために、相手を殺す。でも自分には正義があるし、家族を守るためになら怪物にだってなれる(ジェマンはこの趣旨を特によく表したキャラ設定だと思います)。

物語の前半に、主要キャラのヒストリーを視聴者が共感できるように丁寧に描いていたのは、この正義の反転を視聴者に体感させるためではないでしょうか。

 

一方で、前半にフランクという暗殺者が出てきますが、彼は親に捨てられて家族がいないんですよね。彼には寄る辺となる家族(正義)がないんです。だから虚しさがある。そのせいで、家族がわりの「国家」だけがつながりになってしまっています(このあたり、『VIVANT』の乃木エッセンスを少し感じる)。彼はその後、任務を終えますが、殺害した人たちの家族愛を目の当たりにした後では、もう今までのように生きることはできないようです。

 

誰かにとって誰かは特別な存在で、特別な存在を守るために一線を越えざるをえないことがある。でも多くの人はその一線はできれば超えたくないはずです。しかし、権力は人々を利用し、一線を越えさせてしまう。

 

しかもこのドラマで怖いのは、直接そうさせるのは国のトップの指導者というより、中間にいて実務を指導している者である、ということ。これは今作の大きな主張のひとつになっていると思います。韓国側は国のトップは物語に不在で、北朝鮮側のトップは昏睡状態に陥っているという、中間管理職に責任を負わせる展開です。実際の戦争でも、軍部が暴走するとか、よく見られると思います。しかし、言うまでもなく、トップに責任がないわけがありません(トップ層を描かなかったことは少し不満。もしシーズン2があればそこもやってほしい)。

 

また、なぜトップが不在のままでの国家の暴力が行使されてしまうかと言うと、国家の構造そのものがそれを可能にさせているからです。その構造が生き続ける限り、今世界中で問題となっているような国家間の暴力は終わりません。また実務を請け負う中間管理職が不在となっても、それが役割でしかない以上、代わりはいくらでもいる。

最終話のエンドロール後の短いシークエンスは、このことを最後に強調していたと思います。韓国の国家情報院には新しい次長が来て、部下は以前と同じように媚を売り、アメリカはフランクの後釜を見つける。正義の居所や立場の構図は簡単に動くけれども、権力の構造はそう簡単には動かない。

 

いじめを受けていた女子校生が国家情報院次長よりも上の立場にいる、という描写にもぞっとしましたが、これも「動くもの」と「動かないもの」があることで、成立しています。

 

このような問題意識が作り手にあるからこそ、北朝鮮工作員リーダーの「我らの代で終えるべきだ」というセリフには、とても重みを感じました。

 

そんなわけで、『ムービング』は王道のヒューマンドラマのようで、「戦争とはなにか?」をつきつけるシビアな作品でした(と私は思いました…)。心温まる家族愛や人々の熱い共感も、実は戦争においては利用されてしまう、ということを切実に描いていたと思います。「良い能力はいいことに使うべき」という展開はとても反戦的でしたし、最後のほうでボンソクが人助けをしたというニュースをみた街のおじさんが思わず「万歳」と言いますが、この「万歳」という単語も戦争を匂わせ、「いいことに喜ぶべき」という作り手の思いを感じました。

 

私たちは、美しい物語に感動し、共感しますが、それは一方から見ているだけであって、反対からみれば実は醜悪な物語かもしれない。そういう意味で、私たち観客も常に試されています。ヒーローだって怪物になることを、私たちは自戒として心に刻むべきだと思います。どこに主観を置くかで、正義は簡単に動いてしまい、美しい家族愛が誰かを圧倒的に痛めつけることになる。それが戦争なのです。

 

『ムービング』はそんなことを思わせる、本当に怖いドラマでした。とてもタイムリーな内容で、未見の方にはおすすめしたい作品です。

 

 

余談ですが、2025年の朝ドラで『アンパンマン』作者のやなせたかしさんが描かれるというニュースが最近ありましたが、やなせさんも「正義は立場によって変わる」と考え、でも「お腹をすかせた人にパンの一切れを差し出す行為は絶対的に正しい」と『アンパンマン』を作ったそうです。世の中が悪ければ悪いほど物語は利用されがちですが、あくまでも物語には現実を考えるきっかけであり続けて欲しいなと願うばかりです。