お出かけ手帳

誤字脱字病。書いては直す人生。

『麗〜』のウヒと『直虎』の瀬名

☆『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』第19話と『おんな城主 直虎』第46話のネタバレをしています☆

 

雑記です。 

というか、だらだら雑談です笑。

 

前回のエントリーで『麗〜』19話におけるウヒの選択と最期についてまとめてみたんですが、これ本当に難しくてですね…。なんていうか、状況が倫理的に難しい。最初に見たのはもう一年前ですが、その時は全然手を出せませんでした。そういうこともあって、今回はちゃんと考えてみたかったんですよね(たまにこういう頑固な真面目がでる笑)。

あと最近、日々に忙殺されてモノをじっくり考える時間も心の余裕もなくなっちゃってて、余計に時間がかかっちゃった。なんか文章も読みにくさアップしてる気がするし。今年の「自分の時間がない問題」はかなり切実だ…。いや能力の問題か…。

ボヤきが止まらない笑。。。

 

ウヒの選択って、ある意味すごく気高いです。今とは命の感覚が違うし、実際にああいう亡くなり方をした女性っていうのはいたんですよね。守るために、訴えるために、自分の命を差しだした。「守るなら代償を」っていうのは、このドラマでも何度も出てきてますね。現代でのいわゆる「自殺」とは少し意味合いが違います。あってはならないことだけど単純に否定することもできない。でも、やっぱり自死であることに変わりもない。死が持つ作用みたいなものを色んな方向から考えさせられます。重いね。

 

しかもウヒのパートってあっという間に終わっちゃう。これも語るのが難しい理由かな。

ウヒとペクアの話っていうのは7話から続いたサブストーリーで、それがやっとここでメインストーリーの<ワンソが血の君主と呼ばれるようになるまで>に合流します。ウク、ヨンファ、ジョンにもそれぞれにサブストーリーがあって、そのほとんどがワンソとヘスの物語に吸収されていきますね(ほんとよくできてる話だな)。だから19話は滅茶苦茶忙しい。そして視聴者は情緒も超忙しい笑。ウヒで描いていることってすごく大事なところなんだけど、この悲劇を引き金にして次の展開が待ってるから「ウヒが悪い」で先に進んでしまっています(だからこそ心情的にはペクアはとどまり続けさせてるのかも。このへんもうまい)。

 

それでまぁ、書いちゃ消ししながら悩みに悩んだんですけど、最終的には「それでもこれは現代人がつくった現代人に向けたテレビドラマだし、物語から得たことをどう日常に響かせるかが大事だよな…」っていうところに行きつきまして、ウヒのジレンマから何を学ぶか、みたいなあたりを自分なりの落としどころにしました。たぶん、それが一番素直な見方な気がするんですよね。ヘスとペクアが悲しむシーンも「正直になれなかったせいで、利己的になれなかったせいで、ウヒは死んでしまった」という感じで、ウヒの行動に対する是非でなく、心の在り方を問題にしている。

 

お話の前後関係から考えても、そういう取り方のほうが流れがいい気がするのですよ。ヘスとウヒは「私たちだけは自分勝手になってもいいんじゃないか」っていう話をしていたし(17話)、ウヒの死のあとに来るのが、超利己的な選択をするヨンファのターンなんですよね。なにより、「自分に正直に生きられるか」っていうのは、物語全体を流れる大きな問いです。19話は基本的に、ウヒ以外はみな利己的に動いています。ウヒ以外は…泣。

ま、そういう解釈に至ったのは、私がいま好きなことがやりたいようにできていないジレンマのせいかもしれないですけども笑。物語の感想は、見る人の心を映す鏡ですね。

 

そんな感じで(?)なんとか拙いながらまとめたものの、やっぱり色々考えちゃう。ウヒの選択の是非は物語の趣旨ではないと思い到っても尚、ウヒはどうすればよかったのかと考えてしまうのです。これ、闇のループかもしれないよ。。

 

それで、全然話が違うようなんですけど、大河ドラマの『おんな城主 直虎』なんです。

私、高橋一生演じる小野政次が死んだ回+たまのつぎはぎにしか見てないっていう不届き者なんですが笑、偶然あらすじを聞いた直近の第46話がウヒを思わせる展開だったのですよ。昨日見てみました。考えさせられましたねー。

 

 以下あらすじ。

家康(阿部サダヲ)は武田との内通を理由に嫡男・信康(平埜生成)の首を差し出すよう信長(市川海老蔵)から要求される。織田に逆らえない家康は信康の幽閉先を移しながら時間を稼ぎ、裏では北条と結ぶことで武田を追い詰め、その代わりに信康の助命を願い出ようと奔走する。織田がいらだち始めた頃、瀬名(菜々緒)は武田との密通の証である書状を残して姿を消す。直虎(柴咲コウ)は瀬名が信康の罪を一身に引き受けようとしていることを知り、井伊谷でかくまおうとする。しかし、瀬名は信康を確実に救い出すためにぬれぎぬを着る覚悟を決め、数正(中村織央)とともに出立。追手によって命を奪われる。家康は瀬名の首を携えて信長と対面するが、信康は罪を免れずに自刃。徳川家は正妻と嫡男を失うことになる。

(『おんな城主 直虎』公式HP あらすじより)

www.nhk.or.jp

 

『麗〜』と『直虎』、両方見てる方って案外いるんじゃないかな?

設定とかね、色々違うところもありますけれど汗、菜々緒さん演じる瀬名(家康の妻)が息子の命を守るために自分の命を差し出すというというところですね、ウヒを思わせるのは。命を代償に守りたいものを守ると決めてしまう。そして実行してしまうっていう。

 

でね、ここがウヒとは違う展開というか興味深いところなんですけど、主人公である直虎をはじめ周りの人たちは瀬名が自分の命を犠牲にしようとしてることに気づいて「やめろ」と説得するんですよ。っていうか、すでに瀬名は息子の濡れ衣をかぶって罪人認定されちゃってて指名手配中。「直虎のところで隠れてろ。家康も秘密裏に息子を助ける策を練ってるから」ってみんなで言うんです。

 

でも…瀬名の心は変わらない。彼女は確実に息子を救いたいんですね。成功するかもわからないのに、策を練って時間稼ぎしてる場合じゃないのです。かつて自分は家康に命を救われたから、その命で家康と息子を救いたい。徳川の妻として、母として、と。

 

心揺らがない瀬名に、直虎は渾身の説得です。 

直虎「死んでいく奴は皆左様なことを言う!お家のために命を捨てるは己の本懐。そんなことばかり言いよる。残される者のことを考えたことはあるか?助けられなんだ者の無念を考えたことがあるか?もう二度と私はあのような思いはしとうない。徳川殿を大事というなら、どうか、左様な思いをさせないでくれ!」

 

これね、ウヒに言いたかったことですよ!(私が)。

ウヒは本懐(本来の願い)とは言いませんが「私が生まれた理由はこういうことかもしれぬ」って、民(子)とペクア(夫)を想いながら、死んでしまう。それで残された者がどれだけ悲しむか。ウヒは徹底的に利他的な選択をしますが、それはある意味利己的とも言えるのだよ。

 

ちなみに、直虎が言う「あのような思いはしたくない」っていうのは小野政次高橋一生)のことですね(ほぼ見てないので、伏線拾いきれないけど、それで大丈夫みたいです)。彼も危機的状況から皆を守るに命を差し出していて、しかも幼いころから情愛のあった直虎に心臓を突かせて絶命したんですよ…(直虎は政次の思惑に気づき自分こそが彼の心臓を突くべきだと判断するんです。凄い展開でした)。その政次も死ぬ前に「それこそが小野の本懐だからな。井伊に嫌われ、井伊の仇となる。おそらく、私はこのために生まれてきたのだ」って言ってる。あぁ、死を前にした者が口にする「私はこのために生まれた」の希望と絶望。

(更に話それるけど、反転キャラとしての政次はウクを思い出させます。最期もね、ヒロインと恋愛感情を超えたある種の共犯関係となるあたり、すごくウク的。政次処刑回は「運命か意志か」っていう議論もかなりしてるので、『麗~』が好きで未見の方はぜひ。おすすめです。)

 

話もどる。

とにかく直虎は説得する。周りの人も止める。

でも、瀬名の心は変わらない。

 

瀬名は処されてしまいます。

家康は悲しみを隠して、妻の首を信長に差し出す。せめて息子を助ける為に。

だけど…息子は自害させられるんですよ…。

 

私ね、ウヒは死ぬことで目的を達成してしまった、願いを叶えてしまった、っていうのが問題のひとつだなって思っていたんです。死が方法として成立してしまっているというか。当時はそれしか術がなかったとしても。しかしね、瀬名さんは死しても願いは届かず。じゃあ瀬名の死はなんだったの?って話なのですよね。すごい非情だけれど、そういうこともあるのだよなぁ。

しかも直虎は瀬名の説得自体も失敗しています。瀬名は誰に何を言われようと心を変えなかった。

ペクアとヘスは「ウヒが本当のことを言ってくれたら…」って思ってて、もしウヒがやろうとしてることを事前に知ったら、絶対に説得に入ったはず。でも『直虎』を見てたら、ペクアとヘスが知ったところで何ができたんだろうねって、いよいよ思っちゃったりもしてね。ウヒも意志が相当強いから、説得で揺らくような決心ではなかっただろうし。「守りたいものを守る」確実性で言えば、やっぱりウヒの選択が「正し」かったのかもしれない。ペクアとの最後の逢瀬も、正直にはならず、幸せで穏やかな時間を優先させて「よかった」のかもしれないのですよね。

 

もうこれ、どうしたら…泣?

 

『直虎』での落としどころは、「こういう命を差し出し合うような世はもうたくさんだ。大名が一堂に会して盟約を結べば戦はなくなる。徳川にそれをやってもらおう」でした。直虎は和尚さんに「瀬名は母として、妻としてその命を使い切った。では、そなたは、なんのためにその命を使うのだ。母でも妻でもないそなたは、何にその命をかけるのか?」と言われて、新たな夢を見つけます。実際、この後家康が何を成したは言わずもがな。直虎はそれを後押ししていくのだな。

 

これってウヒの掲げた「三韓一統」と同じ方向なんですよね。やっぱりこれしかないよなぁ。直虎・家康・瀬名・息子(信康)と、ヘス・ワンソ・ウヒ・ぺクアは設定と関係性がずれますが、ワンソも高麗をひとつの国にまとめていくことになる。そして、ワンソは父にも夫にもなりません(ヨンファは同業者でしかないし、子はいても父親としては振る舞わない)。高麗最強の皇帝になるのです。

どちらの作品でも、強固な国づくりの契機に「大事な人を失ったこと」が大きくあり、しかも因果応報的に失ったっていう描かれ方も近いですね(家康はかつて政次が無罪であることを知りながら保身のために助けなかった。あのシーンも衝撃だった…)。

 

落としどころで言ったら、瀬名は死して願いかなわずとも「母として、妻としてその命を使い切った」と称えられ、ウヒはペクアの伴侶として民の母として思いを遂げるものの「ウヒが悪い」と言われているのも興味深い(もちろん単純な「悪い」という意味ではないけれど)。

『直虎』の方が当時の価値観に沿った形で描かれているのかな。

対して『麗~』での「ウヒが悪い」っていうのは現代的な考え方ですけれど、ヘスは中の人が現代人だからいいのですよ。ヘスが現代の理論を持ち込むのは、このドラマの面白いところだし、皇子たちがヘスを好きになる理由でもあります。

 

直虎は悲しみながらも力強く前に進み、ヘスとぺクアは「悲しみにとらわれすぎて、身を滅ぼしてはいけない」となんとか前を見ようとする。このへんのバランスも、それぞれ作品に合っていてよかったな。

 

またも、あてもなく長々書いてしまい結論も特にないんですが焦、たまたま見た作品がウヒと同じような状況ながら、近かったり遠かったりして、心に沁みたので並べてみました。瀬名とウヒの美しく誇り高く悲し気な姿が、すごく重なりましたね。瀬名の物語を見て、ウヒの最期を少しだけ消化できた気がします。物語には定型があってそれに沿ったり崩したりしているので、ある作品で心に引っかかっている事柄を別作品で補完していくのも、鑑賞方法としてひとつの手でかな。これって邪道…?いやそんなことない!はず!現実を補完するために物語があるだけでなく、物語を補完するのもまた物語っていうのは面白いです。現実が物語を補完することもあったりするし。なんだかすごい世界だ…。

あぁ物語への深い視座を持つために、たくさんテレビドラマが見たい…。本読んで映画も見たい…。ついでにミュージカルも…。あ、ハヌルくん出演の未見ドラマ見なきゃ…大事にとってあるんよ…。来月『記憶の夜』は見に行くんだけどね…(とサラッと言う)。

 

えーと、結論は「私は遊びたい」ってことみたいです笑笑。

 

『直虎』もちゃんと全部見たい。。。

 

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追記:コメントでトケッビに言及してくださった方がいたので♪そういえば前に感想を書いてた笑。寒くなってきたので、なんだかまた見たくなってきたなぁ。最近出た日本版ソフトのパッケージにビびりました笑。こちらも大変にいいドラマですよね。<2017/11/28>

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